12/22/2021

アニ&ジョセフ・アルバース展/ バウハウス出身のカップル・アーティスト

Anni et Josef Albers/ MAM

バウハウスで出会って以来、生涯通して相互に影響し協力し合ったカップル・アーティスト、アニとジョセフ・アルバースの展覧会が近代美術館で開催中です。
アニ・アルバースは元々絵画専攻だったのに、バウハウスではテキスタイル部に配属されます。しかしそこで彼女の才能が開花。一方ジョセフ・アルバースの方は、教師の資格を取得し、8年間教壇に立ちながらベルリンの美術大学を終了し、32才の最年長でバウハウスに入学しました。当時のドイツの物資不足のために、粗大ごみ捨て場で見つけたガラスを使ったコンポジションを始めます。その結果トップよりガラス工房を開くように勧められ、まずは技術者として、後にパウル・クレーと共にガラス部の教授として活躍します。

ジョセフのごく初期のガラスのコンポジションと、下は同様にアニの初期、バウハウス時代のタピストリー。この長短の混ざった線と長方形の組み合わさったパターンは、オプティカルな "動" の面白さがあり、初期の頃はアニ、ジョセフ両者の作品に繰り返して登場します。バウハウスの真髄という感じのデザインですね。

1933年、ナチの圧力でバウハウスが解散すると、アメリカに亡命。既に才能が高く評価されていた2人は、ニューヨークのMOMAの推薦で、バウハウスのセオリーを踏まえた新しい美術学校の教授に就任。新しい視点からアートを捉える2人は、教育者としても適任だったらしく、彼らの元から多数のアーティストが誕生しているそうです。
アニは、テキスタイルがアートでなく職人仕事と見なされ、ギャラリーで展示されることがないと嘆いていたそうですが、1949年、MOMAで彼女のソロの展覧会が開かれ、女性でしかもテキスタイル専門としては先駆者的なアーティストとなりました。


は City とタイトルされた作品。糸と織でまるで絵画を描くような感覚の Pictorial Weavings - 50年代に、このような額に入れるサイズの、手織りの小品が沢山発表されます。
プラスティックやラメなど使った変わり織の大作、結び紐のバリエーションやヘアピンのアクセサリーなど、以後の作品は実はあまり私の好みでないのですが(写真を撮り忘れました)意欲的な活動を続け、ファーニチャーのノルなど有名メゾンで、彼女のテキスタイルは沢山取り上げられ、現在も続いています。

一方ご主人のジョセフは、元のオプティカルなデザインから発展して、ジオメトリックでシンプルなパターンを使った色の研究を以後追求し続けます。
色と形だけのオプティカルな面白さ!

ジョセフはまた写真にも興味を示し、自然や建築物からパターンを研究しています。特にアニは植民地化される以前の中南米の文化に大きく影響され、夫婦で何度も旅をしています。
  






なるほど、明暗がはっきりしてグラフィカルなこれらの写真は、即デザインに使えそうですね。たくさん写真がありましたが、アーティストの頭の中で、どんなプロセスでデザインが生まれるかを垣間見るようで、これが一番展覧会中で面白いと思いました。

 
ジョセフのファーニチャー・デザイン

後年ジョセフは、シンプルの極限のパターン、正方形がベースのカラーバリエーションの研究を執拗に続けます。大きさの異なる正方形の、サイズと色だけでオプティカルな広がりや深み、美しさや面白さを表現するのです。同じ大きさの正方形も、それ自体の色、又は組み合わせる色、配置によって大きさが違って見える - 下の中心の正方形は左右同じなのですが、違う大きさに見えませんか?
エチュードの色見本も含めて、とても美しいパレットでした。
  
   

Anni et Josef Albers, L'art et la vie   1月22日まで   
MAM/ Musée d'Art Moderne de Paris, 11 Av. du President Wilson 16e Paris   

注: バウハウス当初は男女平等を掲げていたのに、女性は全部アニのようにテキスタイル部にまわされてしまった状況は (メディアなどの評価、世間体を気にしたらしい!)、女性のアブストラクションへの進出と絡めて以下のブログで取り上げましたので、御参照下さい。

アブストラクションの女性画家達 No.1
アブストラクションの女性画家達 No.2

12/09/2021

フィロラオス展/ ジフシュルイヴェットのシャトー・ヴァルフルリー

Philolaos, Jour après jour / Château du Val Fleury, Gif sur Yvette

案じていた通り、寒さと共にCovidの活動が活発になり、ヨーロッパはアフリカ種Omicronとデルタが二つ巴で爆発しています。いつまた外出制限令が出るかもしれないという強迫観念があって、夏の間は勿論の事、寒い今も暇さえあればせっせと外に外にと出ている毎日・・・
先週はイヴェット川に沿って散歩しながら、彫刻家(というかマルチアーティスト)フィロラオスの小展覧会に行ってきました。この美術館のあるジフシュルイヴェットは、パリの南約35km、森や田園に囲まれ、高いビルなど一つも無い落ち着いた町です。町を横切るイヴェット川に沿って、もう少し南に下ったシュブルーズの町に住んでいたのがフィロラオス、つまり地元の彫刻家の展覧会です。


私は2017年の文化財の日に、この彫刻家のアトリエと家を見ることができ、フィロラオスのアトリエという題でこのブログにも取り上げました。そちらのブログを見て頂くとよくわかるのですが、彼の専門は彫刻でも、何でも作るのです。家庭を大事にした人らしく、アトリエはもちろん、家の設計から家具や食器に至るまで自分で作り、その家庭使いの作品が展示されていました。
上写真の後方にある2つのメタルの前衛彫刻のようなオブジェは、扉が開き、平たく言えば戸棚です。右の大きい方はコップやボトルをなどを入れるサイドボード。

フィロラオスの巨大な彫刻のミニチュアの試作品
ダイニングテーブルと、丸いテーブルにマッチしてカーヴするベンチ
ダイニングの椅子と、後ろに見えるのは食器やボトル類。陶器までも自作です。
スカーフの素敵なプリント、ネックレス
子供部屋も! 下はおもちゃの人形の家具。彼自身が創り、実際に自宅で使っていたもののミニチュア版です。

イヴェット川から続く公園をゆるく上ったヴァルフルリー城を、外観はそのままに、中だけ近代的に改装した会場は、展覧会や町の催しの場になっています。


Yvette川沿いに散歩道があり、少し離れてRERのB線が通っているので、Orsay Ville駅 と終点 St-Rémy-les Chevereuse駅間のどこかで降りて、ウォーキングを楽しめます。住宅や、オルセーは広い大学のキャンパスや寮がありますが、雑木林や公園、緑地帯に囲まれて気になりません。道は川に忠実に沿っていないし、色々な小道と交錯しているのに表示は無いので、地図を持参しましょう。

Philolaos, Jour après jour Le château du Val Fleury, Gif sur Yvette 12月19日まで
RER B線でGif-sur-Yvette駅下車

フィロラオスのアトリエ 

11/22/2021

ピカシエットの家 / シャルトル


La Maison de Picassiette/ Chartres


シャルトルの、とてもとても貧しい家に1900年に生まれたレイモン・イジドールは、カントニエ(道路の整備や掃除草刈係)、墓守、粗大ゴミ捨て場の管理人などを務めながら、自分で作った粗末な家を、拾い集めた陶器やガラスの破片を使って、生涯をかけてモザイクで埋め尽くしました。それがピッカシエットの家と呼ばれ、ゴシック建築最高の美しい大聖堂と並んで、今ではシャルトルの町の観光名所になっています。
ピッカシエットはピック(拾う)とアシエット(お皿)を繋げた言葉で、イジドール氏の場合は、文字通りお皿を拾う変人と思われていたからで、一般的には俗語で、人の家でうまくご馳走になってばかりいる人の事。ピカソとアシエットを繋げたという説もあります。
                                       by Chartres city イジドール氏と奥さん
1929-30年に自分で建てた家は、はじめは水も電気も無かったのだそうです。人と折り合えない性格で、色々な職を転々としたり失業したりを繰り返し、1935年くらいから、モザイクに没頭し始めます。畑を歩いていて、美しい色のキラリと光る陶器の破片を見つけて拾ったのが始まりだとか・・・
家の内部から始め、キッチン、居間、寝室は壁画とモザイクのミックス(写真ではわからないかもしれませんが、どれもほんとに小さな部屋)。よくバルセロナのガウディのグエル公園と一緒に紹介されますが、規模はずっと小さく、また芸術とは縁の全くない、一人の労働者のイマジネーションだけから生まれた事が驚異的です。
ピカシエットのモザイクは、素朴な、ある意味では幼稚なナイーブ・アートと評されていますでもこの礼拝堂(上と下2つの写真参照)など、ナイーブアートと簡単にかたずけられない美しさで、私はラヴェンナのビザンチンのモザイクを思い出しました。この素晴らしい色あいは、大聖堂のバラ窓のシャルトル・ブルーをイメージした色使いかしら? 信心深い彼が、礼拝堂だから特別丁寧にデザインしたのか、それとも彼のクリエーションの絶頂期だったのかもしれません。
大きな人は頭がつかえそうな低い天井。

家の横を裏庭に抜ける小路も、美しいモザイクで一杯です。シャルトルの街並みや大聖堂が繰り返しでモチーフに使われます。フランスの外の聖堂も沢山登場、キッチンの壁にはモンサンミッシェルの壁画がありましたね。
繰り返し現れる女性のモチーフは、どうも奥さんのようです。男性は彼自身?




始めは1930年代ですから、お皿の模様も当時のデザイン。庭を進んで奧に行くほど、お皿の絵が現代的に。そしてイジドールさんも年を重ねてだんだんモザイクが荒くなってきます。元々精神的に不安定だったようで、晩年はモザイクのインスピレーションが湧かなくなり正気と狂気を繰り返し、ついには嵐の夜に外に出たまま、翌日遺体が発見されるという悲劇で亡くなってしまいます。

シャルトルと言ったら、やはり欠かせないのは大聖堂。東側のファサードは修理中で、同時に有名な正面ファサードでは、彫刻群の掃除中でした。塔の上から吊るしたロープでまるでサーカスのよう!! 有名な最後の審判の、全能のキリスト像に接近しようとしています・・・


やっとキリストの頭の後光の裏に手をかけて、なにやらごそごそとやっていたと思ったら・・・

バサリと何かが落ちてきたのは、なんと鳥の巣。巨大で彫刻一杯の聖堂ですもの、こうやって一つ一つ巣を取っていくなんて、ご苦労な事です・・
赤いリュックは、このレンジャー部隊(?)の道具入れ。

La Maison Picassiette   22 Rue du Repos 28000 Chartres
シャルトルはパリのモンパルナス駅から約1時間。ピカシエットの家は旧市街の外で、聖堂から歩いて約30分。バスもありますが、私は聖堂裏のユール川に沿って歩いて行きました。