8/28/2016

ギヨ家の文化遺産修復作戦


Une famille à la rescousse du patrimoine

1年ほど前のヴァラール・アクチュエルValeurs actuelles誌に、お城の修復に情熱を傾ける一家のお話が出ていて、ずごいなあと思い切り抜きを取っておき、そのまま忘れていました。ところが私の参加しているウォーキングクラブの今月号のお知らせに、昔通りの材料と方法で中世のお城を建てている(修復ではなく、何もない所に建てるのです)工事現場見学の記事が出ていて、あれと思ったらやっぱり! どちらも同じギヨ家のお話でした。

事の初めはジャックとミッシェルのギヨ兄弟で、古い建築を愛しその修復に情熱を燃やすあまり、1979年、個人的な資産はまったくゼロなので借金して、状態が悪すぎて工事費が莫大になるので買い手のなかったサン・ファルジョーの城を買い取りました。莫大な修復資金の調達は、まずは100人以上のボランティアを募って歴史的なイヴェントを催し、入場料を取って一般公開する事から始めたそうで、30年後の今サン・ファルジョ―城とそのイヴェントは、世界的に有名で収支の合った歴史的建造物に。

ギヨ家の驚異はここで止まらず、並行してミッシェル・ギヨは1997年にはヨンヌ県に、彼の夢である中世のお城ゲドゥロンを、全くの更地から中世と同じ職人仕事で建て始め、現在外側は半分くらいでしょうか、もうりっぱなお城の形をしています。資金はやはりイヴェントや入場料で調達。一方ジャック・ギヨの方は、1987年からラ・フェルテ・サントーバン城の修復に着手し、現在毎年5万人のビジターと歴史イヴェントやお城のレンタルの収益のお陰で、美しく蘇えらせ(しかし完成には更に20年くらいかかるとのこと)、2011年にはドルドーニュの見捨てられたブリドワール城を購入し、新たな修復にチャレンジ。
さらに驚くことに、ジャックの子供達が、みなお城の修復熱に感染して、長男ランスロ25才は歴史的建造物運営のマネジメント会社を立ち上げ、現在父親の持つラ・フェルテ・サントーバン城と、ある財団の持つボーメニル城(一年目にすでに12,000人のビジターを記録)のマネジメントを担当するだけでなく、サンブリッソン・シュル・ロワール城を購入し、その修復を始めました。次男エデュアール23才は、古い道具やその精巧な復刻版を販売する会社を創立し、またオード県の全く打ち捨てられていたヴォー城の修復に着手。一人娘アリス21才はコミュニケーション・エージェンシーを作り、ブルターニュのランダル城のマネージメントを担当。

修復の情熱はもちろんですが、マネジメント等ビジネスとファイナンスに素晴らしく強い一家なのですね。親が開拓して確立した道とはいえ、ただ真似ているだけではすぐに行き詰ってしまうでしょう。3人とも大きな借金を抱え、公立の歴史的建造物と違って、一歩間違えば破産の危険は承知の上です。アリス曰く、ランダルの修復費は年間最低でも10,000人のビジター(100,000ユーロ)が必要なのに、現在は5,000人以下で収益は40,000ユーロ止まり、一般からのクラウドファンディングも7,000ユーロとのこと。フランスの文化事業へのバジェットは年間70億ユーロ、内3億1千2百万ユーロが歴史的建造物の保存修復に当てられ、その内僅か10%の3千万ユーロが、歴史的建造物に指定された個人所有の建物に補助金として配分されるのだそうで(でもフランスの歴史的建造物の50%と数は公有と同じ)、1建築当たり年間やっと1,500ユーロの補助金では、石細工の窓枠1つも修復できない計算。

私は今まで槍試合の再現や騎士のパレートなどの歴史イヴェントの類は、騒がしく低俗な儲け趣味(失礼しました)と嫌っていたのですが、片田舎の無名のお城にビジターを引き付けるには、必要な事なのですね。それにお城や美術館の入場料が高いとぼやくのは、今後止めようと思いました。
ギヨ家のお城熱は、営利事業でビジネスなのだと言えないことはない。美しくなったお城を売れば高く売れるでしょう。でも何十年、いや半世紀がかりの気の長いお話で、やっぱり情熱がないと続かないし、このような人達がいなければ、国が投資しない古い建物はどんどん朽ち果ててゆくのです。


尚トップと上の写真は、2つともギヨ家のお城とは全く関係ないものです。上はパリ近郊でもわりあい有名なダンピエール城の門。17世紀から同じユイン公爵家の所有で、一頃は観光バスが何台も駐車し、結婚式や狩猟の会などで賑わったのに、最近は誰も来ないと商売あがったりのダンピエールの町の人々が嘆き、お城の将来が危ぶまれているとか。建物はちょっと目にも修理が必要そうな部分が目立ちましたし、この鉄門もだいぶ錆びていますね。

Chateau de Saint Fargeau http://www.chateau-de-st-fargeau.com/en/index.php
Guédelon http://www.guedelon.fr/en/
Chateau de la Ferté-Saint-Auban http://www.chateau-ferte-st-aubin.com/en/
Chateau de Bridoire http://www.chateaudebridoire.com/#!accueil/cjg9
Chateau de Saint-Brisson-sur-Loir http://www.chateau-saint-brisson.com/
上記ギヨ家所有のお城のサイトを見ると、すごいマーケティング精神で、お城のクリスマス、お城のキッチンでお菓子作りの実演、ミステリアスな夜のお城巡り、迷路・・など盛りだくさん。もちろんジャンヌダルクやフランス革命をテーマとした一大イヴェントも。

ヴォー城とランダル城についてはまだサイト無し。なにしろ城主が20才ちょっとの若者達ですからね。しかしエデュアール君がお城を買った時とその後の活躍がいくつもサイトに出ていました。それによると彼は売買契約書にサインして3週間後の週末には、早速お城の一般公開を始めます。まずは宝探しのイヴェント(宝探しはフランスでは野外の会合でよくやるゲーム)。これなら広い敷地を使って、少ない資金でできる割には大人も子供も楽しめますね。1年だった今夏は、お城付属の農場を、グループ用宿泊施設としてレンタル開始。広告によると、駐車場、庭付き住居 250平米、ダブル、シングル等ベッド計23、浴室3、トイレ4、全て装備したキッチン1、大テーブルのあるリビングルーム、テレビ室。お城本館のレセプションルーム(110平米)のレンタルも可能・・・9月と10月中旬までの週末は全部リザーブ済みでした。周りの町もツーリストを呼び町の発展のチャンスだし、彼ら自慢の歴史遺産が蘇るのですから、協力を惜しまないようです。

8/23/2016

モスクでミントティーを


Thé à la menthe a la Grande Mosquée de Paris 

8月も20日を過ぎると、南仏、イタリア、スペイン、遠くはギリシャ、ポルトガルでバカンスを過ごして北上するパリジャンやフランス以北の国々の車で、フランスのオートルートが一杯になります。今週末は大渋滞が予想され、パリは9月1日の新学期の始まりを境に、突然にまた元の忙しい顔に戻るのですが、週中はまだ車が少なく、閉まっているお店も多くのんびりムード。今日は30℃近くにまで気温が上がったので、暑さにぴったりで異国情緒満点の、モスクのサロンドテに行ってきました。


場所は5区の植物園近くにあるラ・グランド・モスケのサロンドテ。真っ白い壁にブルー系のタイル、イチジクの木などが気持ちのよい日影を作る中庭は、モロッコかチュニジアにいるような気分で、ミントティーとマグレブのお菓子を賞味。カフェの奧は普通の中庭なので、入ってすぐのこの庭のテーブルがお勧めです。
以前モロッコで初めてミントティーを飲んだ時は、あまりの甘さにびっくりしたものですが、慣れてくるとカッと暑いモロッコの気候に、甘くて強いミントの香りのお茶が、とてもマッチしていることに気が付きました。しかしパリの暑さ程度では、ノーシュガーでも十分。特にお菓子をいただく場合は、はかなり甘いのでお茶の方はノーシュガーを注文した方がよいかも。何も言わないと、必ず大量のお砂糖入りに。
水タバコを注文することもできます。クスクスやタジンの食べられるレストランもあるけれど、味はそれほどという噂なので食したこと無し・・

ラ・グランド・モスケ・ド・パリは、フランスで最も古いモスクで、第一次大戦にフランス軍に加わり戦死したイスラムの兵士を讃え、フランスとイスラムとの友好のシンボルとして、フランス政府の資金で1922-26年に建てられました。祈りの場の外に、集会室、図書館、アルハンブラ宮殿風の中庭や回廊、蒸気風呂のハマム(一般向け)があり、見学も可。
見学の場合はこちら、モスクの入り口
反対側がカフェの入り口
La Grande Mosquée de Paris 39 rue Saint-Hilaire 75005 Paris 

8/07/2016

ヴィンテージチェアーの修理について


L'art de la réfection de siège/ un fauteuil bridge

1年半ほど前から、念願の椅子の修理を習いはじめました。なぜ修理なのか? 蚤の市でよく底が抜けて詰め物がはみ出した、しかし直せば素晴らしくなりそうなアンティークの椅子をよく見かけます。そんな椅子を、ヨーロッパ特有の美しいインテリアファブリックで、蘇らせてみたいと思ったのです。
上の写真は私の第1作。ひじ掛け椅子の中では一番シンプルなブリッジというスタイルで、元は60年代に流行った合成皮革(フランス語でskaïスカイ、日本語ではレザーレットだそうです)にプラスティックのパイピングが付いていました。座る部分の一部が陥没していて、ヴァンプの蚤の市で10€。60年と年代が近くてまだ沢山残っているため、今まだ安く買えるお手頃ヴィンテージです。
が古い部分を全部取り去ったところ。スプリング用のワイヤーの一部が取れていたので、この後全部取り外しました。またひじ掛けや足はやすりをかけ、クルミのエッセンスできれいなこげ茶色に塗り直したら、見違えるようになりました。ひじ掛けの部分は、ブリッジの場合普通2つの木のパーツを繋いでいますが、この椅子は、多分木を加熱して湾曲させたのでしょう、繋ぎ目無しで丸くカーブしているのが気に入っています。

以下は作業工程。本当はもっと複雑なのですが、ザクッと簡単な説明です。
   
まず椅子の裏から、底にリネンテープを張ります。そのうえにバネをしっかり縫い付け、バネを押した状態で麻糸で固定。麻布(ジュート)をかぶせ、上にココ椰子ファイバーを固定。
   
椰子ファイバーの上にまた別の麻布を被せ、座る部分、椅子の淵を麻糸で縫う。これで椅子のフォルムが形作られます。背の部分は、バネが無いだけで、他はほとんど座の部分と同じ工程。
          
形が整ったら、今度は動物の毛(馬?)を乗せ、生成りのコットン布で覆います。そして最後に表布で覆って出来上がり。写真では簡単そうでも、実際やってみるとかなりの腕力と、熟練職人のテクニックが重要な事を思い知りました。伝統的な椅子の構造がだいたい分かった今は、お城のインテリア、オペラや劇場の椅子など、どこに行っても椅子ばかり目に付き、フランスはこんなに沢山の昔の椅子を1つ1つ手仕事で修復し続けているのだ、と思うとため息が出てしまいます。
アトリエのミシンと椰子ファイバー。下は生徒達の修理中の椅子置き場
修理のコツの1つは、破れたり壊れた元の布や詰物を取り去る際に、1つ1つ点検し、必要があれば写真を撮りながらやること。難しい箇所や迷った時の参考になります。特に年代物の椅子を修理する時は、過去に何回も修理されて、まるでそれら昔々の職人達と会話をしているような気持ちがふとします。時として、ちょとした手抜きを発見したり、失敗した箇所があったり・・・
これは蚤の市で買った昔の木製のデキチェアーを磨き、イケアの布に裏打ちで補強して張り替えたもの。簡単にできた割にはインパクトがあって面白く、外用の椅子だけれど、屋内で使っています。