Une sculpture tombale de Brancusi/
Cimetière du Montparnasse
20世紀の初頭、ロシアのキエフの裕福な家庭出身のTatiana Rachewskaïaタチアナ・ラシュヴスカヤという若い女性が、パリの医学部で勉強していました。タチアナはある医者と恋仲になったのですが、やがてその当時の小説によくあるような破局がやってきます。絶望したタチアナは23才の若さで自殺、1910年のことでした。お墓に飾られた彼女の写真は、メランコリックな顔立ちの、まるでチェーホフの小説から抜け出したような人・・・カトリックでは、自殺者は普通の埋葬ができないのですが、ロシアから駆け付けた母親が神父に頼み、モンパルナス墓地に埋葬し、当時全く無名で、ロダンのアトリエから出て独立したばかりの彫刻家ブランクーシに依頼して、墓石を飾る像を作ってもらいました。
ここまでは小説そのもののストーリーですね。しかし1世紀近く経ってから、ロマンティックとは程遠い現実的な "お金" のストーリーに展開します。
原因は、無名だったブランクーシが、当時を代表する有名な彫刻家になってしまった事です。当然彼の作品の価値はうなぎのぼりに! 2005年にニューヨークで、彼の作品が彫刻としては最高の2,700万ドルという値で落札されるや、パリのあるディーラーがロシアのタチアナの親類を探し出し、タチアナもブランクーシも寝耳に水だった彼らも、直ちにこの像をフランス国外に持ち出す許可を申請します。
by l'Expressこの作品のタイトルはBaiser接吻。プランクーシは同じタイトルで異なる40数点のシリーズを作ったそうで、お墓に使われたのはその第2作め、また90cmと一番大きく、推定価格は5,000万($か€か不明、でもどちらでもすごい額です)。フランスの文化財管理局も直ちにこの像を重要文化財に指定し、以後お役所とタチアナの親戚との間に、15年もの闘争が展開されます。像の台となる墓石にブランクーシのサインがあり、像と墓石は切り離せず、不動産とみなされ動かすことはできないというのがフランス側の理由で、ひとまず法廷ではフランス側に軍配が上がりました。
大金を目の前にしながら手に入れられない怒った親戚たちは、それならばこの像は誰にも見せないと、木箱で覆ってしまいました。表向きの理由は、像を雨風から守るためと・・ブログトップの写真が、この木箱を被った現在の写真です。しかも警報と3方からのカメラの厳重な警備付きです。
しかし昨年末に急な進展がありました。墓石とブランクーシのサインは、墓地の側の墓石店に注文されたものだと証明する領収書が見つかったのです。墓石店が造り、ブランクーシが作った物ではないので、像とは一体ではなく、そのため切り離してもよいとの判決が下りました。
いつ箱が取り外されるか、いつ持ち去られるかは発表されていません。いずれはどこかのオークションで高値で売られるのでしょう。かわいそうなのはタチアナ。台石と像があまりに垂直で、バランスのいいお墓ではないけれど、像が取り外されたら、寂しくなりますね。
ブランクーシもモンパルナス墓地に葬られているのです。フランスの表現にse retourner dans sa tombe というのがあります。(ショックやら憤慨やらで)死者だってお墓の中で寝返りをうつという意味で、さぞかしブランクーシは今、お墓の中で落ち着けないことでしょう・・・
タチアナのお墓は、モンパルナス墓地の端の端、三角に狭まった壁際の一角にあります。上写真の矢印の所。埋葬した母親の資金不足というよりは、自殺は罪とされていたので、隅に目立たなく葬られるしかなかったのかも知れません。
この墓地の案内図には、有名人のお墓のリストと場所が書いてあります。沢山あるでしょう! 良いお天気が続きそうなのにCovidでどこにも行けないので、週末は散歩者で賑わいそうです。
ブランクーシとエリック・サティ