5/21/2020

花の街 シテ・フローラル


Cité Florale

藤通り、カトレア通り、昼顔通り、朝顔通り、菖蒲通り・・そんな美しい花の名前の通りが集まった場所があります。Cité Floraleシテ・フローラル、花の街と名付けられたこの小さな一角は、その名のとおり花で一杯の小さな家が集まり、アパートが並ぶパリの街並みを見慣れた目には、田舎に来たような気分にさせられます。
コロナウィルスの外出禁止令が解けたとはいっても、まだ油断できません。幸い素晴らしい快晴が続いているので、健康的にパリを歩いてみましょう。


1辺が150mの三角形にすっぽり入ってしまうくらいのこの小さなシテ(街というか一ブロック)の中心が、上のミニ広場。中央の桜が咲いている時はさぞかし美しいでしょうね。どの家も3階建てくらいで、可愛らしいレンガやパステルカラーの壁。小さな庭や家の前の歩道には、ぎっしりの鉢植え、壁や窓枠には植物が絡み合い・・


 
藤通りのこの家は、建物全体が藤に埋まっています。

以前このブログで取り上げたムザイア通りデュラフォア通りカンパーニュ・ア・パリなど、パリには20世紀初頭の労働者階級の小住宅の残っている地区が点々とあります。パリの外周を囲む環状線に近い辺りに多く、ここシテ・フローラルはビエーブル川の湿地帯だったために、大型住宅が建たなかったからだそうです。

下はシテ・フローラルから10分ほどのPassage Davielパッサージュ・ダヴィエル。ここもたった100mほどの通りを、やはり花いっぱいの小さな家が並んでいます。


Cité Florale    13e  (17区の同じような地区Cité des Fleursと間違えないように)
Passage Daviel   13e

5/12/2020

イラスト、アンヌ・ラヴァル

                                                                      La tête dans les vacances by Anne Laval
Illustration / Anne Laval

昨日から外出禁止令が解除されました。学校、職場、商店などが開き始めましたが、人の接触を避け広い間隔を保つために半オープンの状況。コントロールが難しいレストラン、カフェ、ショッピングセンター、劇場、大きな美術館、競技場などは閉まったままです。コロナウィルスは消え去るどころかまだまだ犠牲者も多く、いつどこでまた爆発するかわからず・・・気を許さず、みな元気でこの試練を乗り越えてゆきましょう。

さて今日は、アンヌ・ラヴァルの夢いっぱいの楽しいイラストのお話です。
トップの写真は彼女のイラスト絵本 "La tête dans les vacances" 。日本ではまだ出版してないのでしょうか? 直訳すると "頭はヴァカンスで一杯" というようなタイトル。夏休みの思い出と現実が交錯したようなお話に、地上の植物とも海藻とも思える不思議な空想の植物が美しいイラストです。
ジャングルでもあり、深い森かもしれない・・・北欧の香りがします。
    ポエジーが一杯、そして静寂も
 
                                                                                  all illustrations by Anne Laval

フォロンのホワイト・ユーモア:

5/02/2020

オーギュスト・ペレのモビリエ・ナショナル


Le Mobilier National d’Auguste Perret  

昔々、フランスの王様は沢山の居城を持ち、各地の城を廻って移動しながら国全体に睨みをきかせていました。農民はせいぜいベンチくらいしか持てなかった時代に、豪華な装飾を施した天蓋ベッド、椅子、机、タピストリーは高価な貴重品です。そのため主要な城には家具があっても、その外の城は空で、必要のある時だけ家具を運び込んでいたのだそうです。その家具の管理、運搬、修理を担当したのが 家具保管所 Garde-Meubleガルド・ムーブルと呼ばれ、13世紀ごろからあった職業のようです。1663年にルイ14世と財務長官コルベールが、このガルド・ムーブルをもっと発展させた施設として開設したのが現在のモビリエ・ナショナルMobilier National。場所が何度も移動し、1937年に現在の場所、ゴブラン織りのマニュファクチュール・デ・ゴブランと同じ敷地に落ち着きました。建物の建築は、当時最新のコンクリートの建築家オーギュスト・ペレが担当。


何だか古臭いお話のようですが、このモビリエ・ナショナルは現在もフランスの文化省に属して、見えない所で大活躍しているのです。例えば焼けたノートルダム。聖堂の中央を飾るセレモニー用として1830年に完成した巨大なゴブラン絨毯は、巻かれ箱に入って保管されていたので焼失は免れましたが、消火の際に水に濡れダメージがあったそうで、モビリエ・ナショナルに持ち込まれました。乾かし、カビ防止細菌処理、細かい修理の後、ここでノートルダムの修理が終わるまで大事に保管されるそうです。いずれは巻いて保管するのでしょうが、私が行った日は文化財の日だったので、広げられ、ビジターは櫓の上から全体を見れるようになっていました。
それにしても広いホールですね。写真の絨毯部分は半分くらいで、実際はこの2倍近くあった記憶です。ここならどんな家具だって入れられます。オーギュスト・ペレ特有のコンクリートの壁、天井の美しい直線。
保管している家具のいくつかを挙げると、下はミッテラン大統領がエリゼ宮で使用したデスクと椅子。(エリゼ宮のプライベートな領域は、大統領任期中は自分の好みに内装を変えられます)
ミッテラン大統領のイメージと何となくそぐわない(?)モダンなスタイル。デスクに溝の様に彫り込まれ たアクセントカラーのラインがとても素敵でした。 
    
左は、2000年のパリ祭の日、軍隊パレードの貴賓席で使われた大統領の椅子。2000年というとシラク大統領ですね。グリーンの椅子は、元文化相ジャック・ラングの部屋にあったビジター用椅子。
元文化相アンドレ・マルローが文化省の私室で使っていた椅子。スーバラシイ! 斬新なモチーフのタピストリーを使っていて、記載を見たらデュフィーの絵が下絵でした・・・なんとお洒落、さすがマルロー。
 
左はナポレオン1世の玉座、右はナポレオン3世の頃のエリゼ級の椅子。
クラッシクな物ばかりでなく、近代のコレクションも。前記アンドレ・マルローの提唱で、コンテンポラリーなデザインの研究及びクリエーション部門ARCが開設され、以後デザイナー達とのコラボ等、新しいデザインの開発とサンプル作成を行っています。以前のノエ・デゥショフール=ローレンスのデザインのブログ参照下さい。
ゴブランの修理部
時計の修理部
家具修理部
オーギュスト・ペレはこの建物を、トラックが緩いスロープを下りて地下の広いスペースに直接出入りできるよう設計しました。モビリエ・ナショナルは美術館と違って、そのコレクションはいつも流動しています。王や皇帝がいない現代は、フランス共和国の重要な建物や歴史的建造物に向けて、家具の出し入れする場所がこの地下なのです。奥には保管所が続きます。
地下もペレ独特のコンクリートの天井。

               ペレ独特のファサード

  • 最期に面白いお話し・・シルク織で名高いリヨンは、革命中は全く生産がストップしていましたが、帝政期に再び活動を開始しました。ナポレオンは革命中に略奪にあって荒れ果てていた数々の城の復旧工事を命じ、チュイルリー宮、フォンテンブロー、ヴェルサイユ、ムードン、コンピエーニュの城に新しい家具を入れるべく、1811-13年に計80 km.ものシルクを注文。それについて彼は "百年分をカヴァーする出費" と言っていたとか。彼の言葉通り、多彩で最も優れたデザイン、素晴らしい品質のそれらのシルク地は、19世紀の間中、フランスの重要な建物のインテリアに使われ続けたとか。それがモビリエ・ナショナルで今も保管され、貴重な資料になっています。ナポレオンは戦争ばかりしていたと思っていましたが、インテリアファブリックをまとめ買いするような一面もあったのですね・・・

  • Mobilier national 1 Rue Berbier du Mets 13e

30年代建築めぐり 
オーギュスト・ペレのヴィラ・スーラ 
オーギュストペレのチャペル 
オーギュスト・ペレのパレ・ディエナ