11/24/2020

クリストとブルガリア・スパイ

from "Christo and Jeanne-Claude"

Christo et une espionne bulgare

秋になってコロナウィルスの感染がまた急激に増え、フランスは再び外出制限令が出されました。学校や公共サービス、テレワークのできない職種の会社が開いているなど、春に比べて少し緩和されましたが、美術館、画廊、劇場などこのブログで取り上げたい芸術の分野はまた全部クローズ。ストックしていた写真で春の外出禁止中は持ちこたえましたが、さすがに今では残り少なく・・・・このブログに載せる写真は全て自分で撮ったものをモットーに、やむを得ず外からお借りする場合はその旨記し、できるだけ大新聞や劇場の何万という単位で発表され尽くした写真を使っていました。コロナ中は仕方ありません、雑誌や新聞からの話題や写真も混ぜて、ブログを続けて行くことにします。

そこで今日はル・モンド紙のウイークエンドの雑誌 "M" に出ていた、梱包の天才クリストとスパイのお話です。下の1点だけ私の写真、それ以外はクリストご本人のサイトChristo and Jeanne-Claudeから拝借しました。


クリストは1935年ブルガリアで生まれました。6歳で肖像を描いたそうで、美術学校に通い始めたけれど、共産主義真っただ中の当時のブルガリアでは、共産党のパルチザンでないとディプロマがもらえず、56年ウイーンに逃亡、58年にはパリに、そこで生涯の伴侶で仕事のパートナーでもあるジャンヌ・クロードと巡り合います。64年にアメリカに移住。ここからが本題です。
よほど共産国ブルガリアの思い出が悪かったのか、クリストは母国に生涯帰らず、兄弟とも連絡を絶ったまま、公の場所でブルガリアの事を口にすることも決してなかったそうです。ところが最近になって、ブルガリアの元秘密警察の書類の中から、エレナという署名の1984年付の報告書が見つかりました。上の写真がル・モンドに出ていたその報告書。本物であることは間違いないそうです。80年代すでに国際的なスター・アーティストになっていたクリストは、ブルガリアの国民の敵と見なされていました。秘密警察への警戒を怠らなかったクリストのアトリエに、うまく入り込んだスパイがこのエレナ。
     from "Christo and Jeanne-Claude"

しかしエレナの報告は、終始クリストの人物とその芸術を弁護し、本部の疑いを晴らすように細心の注意を払った内容だったのです。彼らの巨大な梱包アートの資金は、自分達の独立を保つため、美術館や大会社などのバックアップを受けずにスケッチを売って賄っているので、巨額の資金を動かしていても全部作品に使ってしまい、いつも貧乏だ。有名になってもなおヒーターもエレベーターも無い古いレンガ建ての工場に住み、一週間7日働き続け、隠者のような生活をしていると・・彼女はすっかりクリストに心酔してしまったようです。なんだか以前の、東ドイツ国家保安局シュタージの調査員の心の変遷を描いた、感動的な映画 "善き人のためのソナタ" (フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督、フランス語タイトル La vie des autres)を思い出しますね。

   梱包の過程 from "Christo and Jeanne-Claude"
クリストは梱包の企画の色々なデッサンを売って資金集めをしたそうですが、確かに彼のデッサンは、それだけでも見ごたえがあります。やや建築家風のデッサンで、彼は物を、そのヴォリュームで表現するのですね。どうして梱包しなければならないのか? 彼は二十歳にもならない美術学校時代に、すでに色々なオブジェを包んでその絵を描いていたようです。多分彼の思考のどこかに、ラッピングの観念が生まれた時からインプットされていたのでしょう。梱包しても美しくない物は、やっぱり私は苦手。でも目を見張るように美しい物もあります。例えばこの海岸を丸ごと梱包した作品。ヴォリュームが単純化され、白一色のために陰影が強調され、素晴らしい!
尚この布は全てリサイクルされます。包む物や場所の環境を考慮し、地域や住民との話し合い、許可、物流などは全部ジャンヌ・クロードの担当だそうです。

    from "Christo and Jeanne-Claude"
パリの凱旋門の梱包の準備がほとんど完了した段階で、クリストはこの春に亡くなってしまいましたが、2021年秋に、彼へのオマージュとして梱包が実行されるそうです。コロナが治まっていたら、きっと大騒ぎになる事でしょう。

尚、このスパイ、エレナの正体には、誰もが口をつぐんでいます。報告書の文章から、身近な人々は正体を確定できるそうですし、クリストとジャンヌ・クロードは一時親しかったのですから、当然誰だったか知っているのです。いくら良心的な報告書を書いたとはいえ、偽りの友情で近づいたのですもの裏切り行為、やはりもの悲しいお話ですね。

Christo est le mystérieux rapport bulgare, M, le magazine du Monde No.472より

11/13/2020

坂茂氏のコンソルシウム/ ディジョン


坂茂氏設計のコンソルシウム・コンテンポラリー・アートセンター/ ディジョン

ディジョンはブルゴーニュ公国の首都として栄え、最も繫栄した15世紀には、ブルゴーニュだけでなく、北フランスからオランダに広がる豊かなフランダース地方を含めた領土を持ち、ヨーロッパの政治を左右するほどの力を持っていました。2度の大戦の被害が少なかったこともあり、旧市街は歴史遺産が一杯です。しかし今日のお話は、旧市街からちょっと離れた、ぐっと新しいコンテンポラリー・アートセンター、コンソルシウムの建築について。タイトルには板茂氏設計と書きましたが、ポンピドゥーセンター・メッス等と同様、正しくは板茂xフランスの建築家ジャン・ド・ガスティーヌの共同の作品です。


コンソルシウムは1977年に、若いアヴァンギャルドな作品を展示したいという仲間が集まり、書店の2階を借りて展示を始めたのが始まりです。最初の2、3年で、当時ほとんど無名だったボルタンスキー、ダニエル・ビュレン、シンディー・シャーマン等々を展示したのですからなかなか。現在は小さいながら現代アート界では欠かせない存在です。ディジョン市内を転々とした後、1991年に、旧市街の外にある1943年築の元工場の建物に移転。板茂xジャン・ド・ガスティーヌのコンビが担当したのは2011年の拡張工事で、10mの天井を持つ展示会場(下写真の左の建物)とガラス張りの入り口ホールです。

お隣のアパートがあって門を大きく取れないので、ちょっぴり不思議なS字型の入り口。
入り口ホールを中心に、右が旧館、左が新館。
入り口ホール。ここから旧館2階の展示場に向かうスロープ。
スロープから見た、1943年建築の元工場とアトリウム。
マタリ・クラッセがデザインした、カラフルな円形のブックショップ。
       by Matali Crasset

コロナウィルスの感染が急に増え、また外出制限令が出るかも、という時だったので、コンソルシウムは開店休業状態。展示準備中だからタダで見ていいよ、と言われました。そのため、どこかにあるはずのカフェは見られず。展示スペースも色々な物が散らばり、写真が撮れなかったので、コンソルシウムのサイトから以下の2写真を拝借しました。
        by Consortium
        by Consortium

Consortium 37 Rue de Longvic, 21000 Dijon