11/29/2015

ザ・ニューヨーカーの表紙

                    by Charles Berberian, The New Yorker Nov.30
Le français Charles Berberian dessine la une du New Yorker

今週のザ・ニューヨーカーの表紙は、フランス人のイラストレーター、シャルル・ベルブリアンの描いたパリのカフェのデッサンが選ばれました。13日のパリ連続テロの告発と犠牲者へのオマージュのデッサンです。パリの街角、カフェのテラスに集まる人々、何でもない日常のひとコマだけれど、これがフランス式ライフスタイルの象徴、人生を楽しむこと・・
  
毎年世界中から、沢山の観光客がエッフェル塔やルーブルを見に来ます。でももしパリにあるものが歴史的なモニュメントだけだったら、こんなに沢山の人々を魅了し続けられるでしょうか? それらのモニュメントのバックグランドに、フランスのアール・ド・ヴィーヴルart de vivre(下参照)があってこそ、パリが魅力的なのだと思います。1月のシャルリー・エブドー事件では、言論の自由、フランス人が最も大事にする ″自由″ が侵され、今回はアール・ド・ヴィーヴル彼らの生き方の根本が踏みにじられました。

13日のテロに関する表紙は、ザ・ニューヨーカーのアートディレクター、フランソワーズ・モーリーからシャルル・ベルブリアンに依頼があり、急きょ仕上げたものだそうです。同紙の看板である表紙のデッサンは、それだけでも展覧会や本が出るほど有名。ベイブリアンのデッサンは、右端の、夜空であるはずの部分が真っ赤なのが印象的です。

フランソワーズ・モーリーはフランス人で、アメリカには ″まじめシリアス″ なマンガが無いと、70年代後半にニューヨークでイラスト/マンガ誌Rowを創立。シャルリー・エブドー事件の時にはなかなか世界の人に理解してもらえなかったけれども、フランスには古くはドーミエやビゴー、近代ではシャルリー・エブドー、ハラキリなどのまじめなマンガが文化の一部として根強いのです。タンタンやサンペのプチ・ニコラなど、フランスの文化を担うマンガも沢山ある。そして1993年からザ・ニューヨーカーのアートディレクターを務める辣腕プレス・ウーマン。彼女自身アーティストで、自らニューヨーカーの表紙のデッサンを描いたことが何度もあるそうです。素晴らしくムードのあるフランス式美人、夫はホロコーストをテーマとしたマンガ ″マウス″ で有名なイラストレーターのアート・スピーゲルマン。

アール・ド・ヴィーヴルはフランス人が好きな言葉で、英語はライフスタイルが一番近いけれど、なんとなくニュアンスが違うような気がします。楽しく生きるための術、アート、というような意味。

The New Yorker

11/24/2015

カリーヌ・ブランコヴィッツ/ オペラのトロワジエーム・セーヌ

                                       by Carine Brancowitz ″Intermezzo″ 3e Scène, L'Opéra de Paris
Carine Brancowitz/ 3e scène de l'Opéra de Paris

マリークレールなど雑誌のイラストで知られているカリーヌ・ブランコヴィッツが、オペラ座のニュースレター上に現れるインターネット劇場 ″トロワジエーム・セーヌ″ に、彼女独特の現代的でポエティックなデッサンを描きました。
タイトルは ″インテルメッツォ″。若いバレリーナ達の休憩時間の様子を描いた10メートルの細長いデッサンに、バレリーナ達の会話や音楽の断片、舞台裏の様々な雑音を交えてヴィデオに仕上げたもの。現実と幻想の狭間に、まるで時間が停止してしまったような約10分間は、バレーを直接の視覚でなく感覚で感じられる不思議な映像です。

カリーヌ・ブランコヴィッツの描く線画は、おしゃれでファッショナブルな現代の若者たち。ビックのボールペンから流れ出る線は、とても繊細でありながら大胆。恐ろしいほどのデッサン力、細密な写実なのに、平面的でマンガチックでもある。空間を細かい模様で埋めたり、ヴィヴィッドなカラーで塗りつぶしたり、意外なアングルの構図の取り方がミステリアス。

因みにこのトロワジエーム・セーヌは、最近できたオペラ座のインターネット企画で、バレーをテーマとした写真、ヴィデオ、デッサンなどの小ストーリーを紹介しています。どれも2、3分から10分くらいと短いショートショートで、1つひとつユニークな見せ方でバレーを楽しむことができます。La Grande Sortieというタイトルのヴィデオは、ヒッチコック風のサスペンス溢れるはっとする名演出で感激しました。プログラムを調べたりチケットを予約するだけの平凡なサイトから、見る価値のあるサイトにしようというオペラの意図は、私に関する限りは大成功です。

11/19/2015

ラ・シネマテック・フランセーズ/ マーティン・スコセッシ展

                                                                                              
La Cinémathèque Française/ l'exposition Martin Sorsese

シネマテックで、マーティン・スコセッシの展覧会をやっています。オープニングに先駆けてのヴェルニッサージュにはスコセッシも出席し、2005年に完成したシネマテック新館の落成式の特別ゲストとして招待されてから、ちょうど10年目になると新聞に出ていました。
スコセッシの作品の映像や写真、ポスターはもとより、メモの書き込んであるシナリオ、小道具、衣装、また彼の子供の頃の写真、家族ゆかりの品など珍しいプライベートな展示品も見られ、映画好きには見逃せない展覧会です。特に注目はスコセッシ自筆のストーリーボード。この人は絵が好きなのですね、監督自身がストーリーボードを描くのはめずらしいそうですが、同じ場面の映画の写真も一緒に展示されてとても面白い。
同時に館内の映画館では、スコセッシの全作品が上映中。

シネマテックの創立は1936年。映画に関する世界でも有数の膨大な資料を保管し、図書館、小博物館及び展示会場、古い名作や映画史上重要な作品などを、監督別やテーマ別で上映する映画館を持っています。外国の俳優や監督などのインタビューで、パリに来ると、古い映画を見て歩くのが楽しみというコメントを度聞いたことがあります。最近ではグザヴィエ・ドラン、あとは誰だったか忘れましたが・・パリにはハリウッドのブロックバスターを避けて、地味な秀作を上映する小さな映画館がまだ残っていますが、シネマテックはそれをもっと組織的にやっている、映画マニアと映画研究者の殿堂なのです。
スコセッシが落成式に出席したという、一目でフランク・ゲーリー作とわかるシネマテックの建物
 高い天井から自然光の入る、赤いベンチがユニークな待合室
 映画関係の本が揃ったブックショップ
ベルシーの公園に面したシネマテックのカフェの名前は、トリュフォーの映画の題名 Les 400 coups レ・キャトルサン・クー(日本題は″大人はわかってくれない″)

Martin Scorsese   2016年2月14日まで
La Cinémathèque Française  51 Rue de Bercy 12e  

11/15/2015

無題

Sans titre
高度な文明を築き、美しく人を感動させる芸術を生み出せる人間達が、なぜ一方では愚かに、醜く殺し合うのでしょうか。
テロ犠牲者のご冥福を祈ると共に、治療中の沢山の負傷者の方々、お悲しみご心痛のご家族やお友達の皆様に、陰ながら心からの友情と励ましの気持ちを送りたいと思います。

11/09/2015

文化遺産の保護について/ サルラ、ペリゴール地方No.1


Escapade en Périgord, Sarlat-la-Canéda et le sauvegarde de patrimoine historique

″フランスで最も美しい町″ のラベルを持つ町や村が山ほど集まり、フォアグラやワインなどグルメでも有名なフランス南西部、ペリゴール地方に先日行ってきました。
サルラ(正しくはサルラ・ラ・カネダ)の始まりは紀元700年代くらいで、当時の交通と守備の要地だったので、ヴァイキングの襲来、100年戦争(1回もイギリスに占領されなかった!)、宗教戦争では隣のライバル、プロテスタントの町ベルジュラックと何度も籠城戦を繰り返すなど戦争が絶えなかったのですが、戦いの合間に商業が発展し、力と富を得たブルジョワ達が貴族の称号を与えられ、競って美しい館を建てたのだそうです。しかしその後政治の中心がパリに移り、この地方は次第に取り残されてしまいます。

近代化、工業化に乗り遅れ、眠り姫のように17-19世紀を眠って過ごしたこの地方は、そのため幸運にも、中世やルネッサンスの建物が町ごとそっくりそのまま残りました。
そこに登場したのがアンドレ・マルロー。安藤忠雄さんがインタビューの中で語っていたドゴール政府時代の文化相で、作家としても有名。けれどそれらのインテリ的イメージとは異なる、アヴァンチュリエ(冒険者)でもある。学校をドロップアウトして独学で作家活動を続けながら、スペイン内戦や対ナチのレジスタンスで戦い、後に文化相に就任。私のフランスのいい男ベストテンに入ってる人です。新しい物が良しとされ、世界中が近代化の名の元に古い物を壊していった60年代に、この人は後にマルロー法と呼ばれる、歴史的美的に価値があると判断された建物の保護法を1962年に立法化します。その恩恵を初めに受けたのがサルラ。

    
    
    
     

サルラはマルロー法のモデル都市として撤退的に修復されます。修復といっても手っ取り早い安物の工事ではありません。25年もかけて、電線は全て地下に埋められ、中世の不潔な澱がこびりついた壁や路地は砂で磨かれ、その地方の伝統的な古い瓦を使い、昔通りの石工技術で修理したのです。だからサルラは、ニセ物や作り物の匂いがありません。以後このマルロー法の恩恵を受け、フランスの沢山の歴史的建造物が保存修復され現代に伝わっているのです。
美しいのでイギリス人がセカンドハウスを買いあさり、ペリゴール地方はイギリスの植民地になってしまったとフランス人が冗談を言うくらい、イギリス系の不動産屋が沢山あり、あちこちから英語が聞こえてきます。なにしろ100年戦争の頃から、イギリス人はここを狙っていたのですから・・
中世らしさを満喫するなら、観光客の少ない早春か晩秋がお勧め。
 
パリについてはちょっと特別で、ローマ時代の遺跡や、ノートルダム寺院などゴシックの教会や貴族の館など古いものも沢山ありますが、アパートやオフィスなど民間の建物は、1850-70年にオスマンが新しい都市計画に基づいて建て直したものが多く、そのため比較的新しいのです。迷路の様に入り組み、汚物で汚れていた中世のままの細い路地を取り除き、デモ好きのパリ市民がバリケードを作りにくい放射線の大道りを作りました。それでパリは美しく、近代都市として発展できましたが、中世の民間建築は殆ど破壊されました。そのパリでもやはりマルロー法のお陰で、一番古い地区の1つであるマレが美しく蘇えりました。町工場やガレージ、倉庫として荒れ放題の元貴族の館などが国の援助で美しくなり、持ち主たちは地価が上がって大儲けしたという問題もあったようです。今マレはパリで最も美しくてファッショナブルな人気スポット、サルラも観光客が押し寄せ、マルロー氏が生きていたらびっくりしそう・・でもどちらも壊されずに、昔のままで後世に受け継がれるのは確実です。
尚マルロー法は現在も生きています。

追加:  帰りのTGVの中で読んでいた雑誌(フランスの)に、″やっぱり壊される東京のホテル・オークラ″ 内外の沢山の反対を押し切って、という記事が・・・残念!

11/04/2015

ストリートアートSTIKスティックの作品集


Street artist STIK

ストリートアーティスト、スティックの本が、最近ペンギン、ランダムハウスから出版されました。真っ赤な表紙の素敵な本で、彼の代表作の写真集です。
たった6本のラインと2つのドットで描かれているスティック人間は、その丸みのあるオタマジャクシの様なかわいいフォルムが、子供の絵本の中の不思議な登場人物のよう。でも単純でありながら、2つの黒い点でしかない目が雄弁に何かを語り、ほのぼのとしたり、悲しくなったり・・・・この迫力は、作者がホームレスだったことが無関係ではなさそうです。彼は誰にも顧みられない孤独な放浪の中で、自分が存在することを世界に示すために、2003年頃からスティックの″落書き″ を、ロンドンの下町の壁に描き始めたのだそうです。


落書きといっても、ガレージの壁やビルの側面一杯に書かれた大きなもの。ビルの壁によじ登って、見つからないうちに絵を描いて逃げ出す・・早く描くためにモノクロームで、最も単純な線と点だけの人間は、黒のスプレーと拾ってきた白ペンキの残りさえあれば描けるという経済的な理由もあります。この巨大さとデッサンの単純さが彼のトレードマーク。
壁の絵は売り物ではありませんが、今では落書きの要請が世界中からあり(日本にもあり)、アトリエで描いた作品は、クリスティーズのオークションなどで、高値で売れているようです。バスキアか第2のバンクシーかと言われていても、舞い上がらずにマイペースそう。
ロンドンのショーディッチで撮ったスティック。以前ロンドンのスナップで使ってしまった写真だけれど、再度登場してもらいました。
STIK 

11/01/2015

ハロウィンの朝市/ ポーズカフェ

Pause-café

11月1日の万聖節はトゥサンToussaintといって、tous全てと saint聖人の2つの言葉が繋がったもの。フランスのカレンダーは、毎日1人ずつ聖人を祭って彼らの名前が付いていますが、聖人が多すぎて1年に入りきらなかった分を、まとめて11月1日にお祭りすることにしたのが万聖節の起源とか。ご先祖のお墓参りが習慣ですが、最近はアメリカからの影響と、仮装などして楽しめることもあって、10月31日の夜のハロウィーンも盛んです。
田舎の市場に、色も形も様々なカボチャが並んでいました。