11/29/2019

マチアス・キスのインスタレーション/ リール・ボザールのアトリウム


L'atrium de Lille Beaux-Arts/ L'installation de Mathias Kiss

リールのボ・ザール美術館で、マチアス・キスのインスタレーションが展示中です。
ブログトップの写真を見てください。アトリウムの高い天井に設置された空、この空はキスによると18世紀絵画の空だそうで、つまりドラマティック。それが真下に設置された鏡に映し出されます。横に立つと周りの円柱や回廊が映り、立体の鏡が壊れ、まるで流れ出ているような部分にゆがむ像も面白い効果。



しかしそれよりももっと印象的なのは、インスタレーションの設置された器の方の建物なのです。1800年代に美術館用に建てられたクラッシックな建築の、右と左の翼の中央にあたる部分のアトリウムがそれで、吹き抜けの高い天井、円柱、バルコニーのある真っ白な広い空間入場チケット無しで入れるフリーゾーンで、両側の回廊にカフェとブックショップ、休憩コーナー、コンピューターやデスクのあるネットコーナーが、たっぷりなスペースを使ってとても贅沢。ビジターが多くないのでとても落ち着けます。


さて展示されている作品中でブログに取り上げたいと思ったのは、Louis-Léopood Boilly ルイレオポルド・ボワリーの小さなポートレートシリーズです。ルーブルにある作品 L'atelier d'Isabey" のエチュードだそうで、サロンに集まった当時の画家、彫刻家、歌手、俳優、建築家を描いたもの。A4サイズほどの小品ばかりで、大芸術品ではないけれど、ちょっと2、3点盗んで家に飾りたいな、と思うような作品・・・後でネットでルーブルの完成した作品の方を見てみたら、形式的でつまらない絵でした(でも1798年のサロン展で大評判だったとか)。エチュードの方が、リラックスして描かれているようでずっといいです。


          

            

Palais des Beaux-Arts, place de la République, 59000 Lille
マチアス・キスのインスタレーションは1月6日まで

11/20/2019

オペラ "恋するヘラクレス" エルコーレ・アマンテ


Mise en scène de Ercole Amante de Cavalli

オペラ "恋するヘラクレス" エルコーレ・アマンテ(以後エルコーレ)は、ルイ14世とスペイン王女マリ-テレ-ズ・ドートリッシュとの結婚祝賀の出し物として、マザランが、カヴァリに注文したオペラです。乗り気でなかったカヴァリをヴェネチアからパリに引き抜き、その祝賀の為に建てられたチュイルリー劇場で1662年に上演されました。劇場の建設が遅れて、結局結婚式の2年後の初演、太陽王自身がダンサーの一人として舞台に立った事でも知られています。

当時のイタリアオペラは、観客をあっと言わせる機械仕掛けの舞台装置が売り物でした。エルコーレもその例にもれず、当時のヨーロッパで最大と評された大掛かりな仕掛けで上演されたのですが、リュリーが下請けしたダンスは好評だったものの、本命の歌は機械のせいで音響が悪く、またイタリア語の歌詞は理解されず不評。傷心のカヴァリはイタリアに帰り、以後フランス宮廷はリュリーの独断場になり、素晴らしいフランス語のバロックオペラが沢山生まれますが、エルコーレは全く見捨てられていました。いつ頃再発見され、最近どのくらい上映されていたか資料が見つからなかったのですが、今回のオペラコミック座の公演が、完成度からも復活記念的な公演といえるかも。若手バロックのホープ、ラファエル・ピションの方針からか、ダンスは全部省かれ大喝采を浴び、遅ればせながらカヴァリの名誉挽回果たせり!と批評に出ていました。



これが幕開き一番最初の舞台。最近まれなファンタジーと遊び心一杯の美しいもので、太陽王のシンボルの大きな金色の太陽から光る光線の先に、コーラスの顔がお面のように現れ、月の女神と一緒に歌うシーン。これは面白そうな演出だとホッと安堵・・何しろ硬い椅子に座って3時間ですからね、最近のパンクの不良達や宇宙飛行士、はてや老人ホームに見立てた演出では辛いもの・・


これがラストのシーン。女神たちは空中を上下左右に、エルコーレの息子イーロは、空中の檻に捕えられ、そこから真っ逆さまに海に落ち、木や花が生え、波が打ち寄せ、海の怪物や船が横切り、水泳をするコーラス達が海にジャンプし、ギリシャの円柱が動き回り、舞台下からは地獄の怪物達が這い出して来る・・・



演出家はValérie LesortとChristian Hecq。このコンビは去年もオペラコミック座で大評判でしたから、今後要注目ですね。インタビューによると、ストーリーにロジックが無いので、歌詞に忠実に演出したそうです。例えば女神ジュノーは孔雀にまたがって来ると歌っているので、孔雀の乗り物を作ったり・・・彼らの底なしのイマジネーションには拍手喝采です。カヴァリは、ヘンデルやヴィヴァルディに行きつく前の、まだ少々型にはまったメロディーなので、時として舞台の動きが面白くて、音楽を聴く方がおろそかになったくらい! しかし歌い手達もみな素晴らかったです。



海に落ちたイーロはポセイドンのサブマリンに助けられ・・・
下はアヒルだったか・・鳥の飛行機を運転しながら歌う女神。彼女やジュノーなど3人の女神の額には、もう一つの顔がさかさまに付いていて、よく見るとやや不気味。
                          photos by Opéra comique, Concert Classic Com, La Croix com

11/12/2019

コンク、サント・フォア聖堂のステンドグラス/ スーラージュ


Conques, Abbatiale Sainte-Foy/ Les vitraux de Pierre Soulages

前回スーラージュについて書きましたが、アヴェイロン県には、もう一つスーラージュゆかりの場所があります。それはロデスから4-50㎞のコンク、フランスの最も美しい街のラベル中でも特に美しいと讃えられ、ユネスコの世界遺産のサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼ルートの要地。その最も重要なサント・フォア聖堂のステンドグラスはスーラージュの作品です。



スーラージュのステンドグラスがある、とだけの予備知識しかなかった聖堂の内部に一歩入って、実は少々戸惑いました。殆ど真っ白なステンドグラスだったからです。何種かの違うガラスを使用して微妙な白-灰色のニュアンスがあり、各ガラス片を固定する鉛線(ですか?)の黒が波のように見えます。カラフルなステンドグランスに慣れた目には、なんとなく物足りないような・・・
聖堂はロマネスクの代表建築ですから、ゴシック以後のような装飾が無いシンプルの極み。元は多彩な色の壁画に覆われていたようですが、今は所々にその名残が微かな灰色の影のように見えるだけ。残っているのは石の壁とアーチ・・・しかし何と素晴らしい!  余分な物もごまかしも無い本物の、ノーブルでピュアな美しさです。じっと見ている内に、なんとなくスーラージュの求めた美が、わかるような気がしてきました。
翌日スーラージュ美術館で彼の作品を沢山見て、彼は素晴らしく趣味のいい上品な人だと思いました。コンクの美しい石の壁に、極彩色の宗教色の濃いステンドグラスを作る気にはならなかったのですね・・


とっくの昔にオリジナルは壊れ、1952年に新しくされていたステンドグラスが、時の文化相ジャック・ラングのイニシアティブで1994年、スーラージュのこのステンドグランスに替えられました。しかしあまりにも " モダン " なデザインなので、村人、美術愛好家、巡礼達の猛反対に会い、署名運動まであったそうです。20年以上たった今、まだ賛否両論あるようですが、大勢は賛の方だとか。村人達も、スーラージュとガラス師が何年もかかって作り出した、不透明な特殊ガラスから溢れる美しい光は、聖堂の美しさをより引き立てると納得しているそうです。
ヨーロッパでは丘の上に美しい旧市街があっても、下に醜い新市街が広がる都市が沢山あります。残念でもそれは現代では避けられない事、ところがコンクは、どこを見ても新建築は見えない中世の街です。それだけ村人たちが団結して、近代化と戦っているのでしょうね。

注: Abbatiale Sainte-Foy は、本当はサント・フォア修道院聖堂とした方がいいのですが、長くなるのでサント・フォア聖堂にしました。

Abbatiale Sainte-Foy    Place de L'Abbaye, 12320 Conques

11/03/2019

ピエール・スーラージュとスーラージュ美術館/ ロデス

 
        
Pierre Soulages et Musée Soulages à Rodez

以前からスーラージュの絵を目にするたびに、もっと沢山見たいものだと思っていました。万聖節の休暇にチャンスがあり、念願叶って彼の故郷ロデスのスーラージュ美術館に行ってきました。Rodezロデスはパリの南西部、奥深い田舎アヴェイロン県の中心都市です。中心といっても日本の県庁所在地の規模と賑やかさは程遠く、パリから直行の鉄道が無いので、片道乗り換えを含めて8時間近くかかりました。(因みにパリからブリュッセルは1時間ちょっと、ロンドンだって2-3時間)

さて期待のスーラージュ美術館は、素晴らしくて感動! 器も中身も完璧。
彼は黒の画家と呼ばれているそうですが、誤解を招きそう。私は光の画家と呼びたい。黒を沢山使っているけれど、それはより白を、光を、輝かせるため・・



上写真は大きな絵のほんの1部分だけを撮ったもの。キャンバスの表面の暗い絵の具の後ろには、眩しいような光が満ち満ちている!

リトグラフィー、セリグラフィーやポスター等の小品は、黒にアクセントのカラーがドキッとするほどパワフルで、素晴らしいグラフィック。

      
           
パリに帰ってから彼に関する記事を色々読んでいたら、ラジオFrance Cultureのインタビューを見つけました。ちょっと古い2011年のものですが、以下『』部分がその要点です。

『多分私が4-5才の時のことです、白い紙の上に黒の太い線を描いていたのだそうです。何を描いているのと聞かれて、雪だと答えた。その時周りの大人はみな笑ったそうですが、全員がそれを覚えていて、後になって私にその話をしてくれました。今思うと、黒い線とのコントラストで、紙の白さを雪のようにより白くしていたのですね。』

2011年インタビューの時スーラージュは92才。彼は自分がすでにやった事を見るのは好きではないと言います。『自分の知っている事だけを繰り返すようになると、アーティスト(芸術家)ではなくアーティザン(職人)になってしまいます。芸術家は自分のできない事、知らない事に注目しなければなりません。』 90才にしてなんという気迫!
ということで、最後に彼の絵は真っ黒になります。

ピカソが、顔の不要な物を取り去り重要な物だけ残したら卵になった、と言ったように、光を追求し続けたら真っ黒になってしまったのです。このあたりが私のような凡人ががっかりしてしまう、真に才能ある芸術家によくある現象で、せっかく素晴らしい絵を描いていたのに、なんでそこまで、と思うのですが・・・仕方がない、前進あるのみ! 写真では見えませんが、これらの一見真っ黒な色は、つや消しの表面と光沢の表面、凹凸、コラージュで別の紙を貼ったりと微妙なニュアンスの違いがあるのです。

『私の絵で、光は、全く光の無い所から輝きます。つまり黒です。黒は光を全て飲み込んでしまう色です・・でも本当は全部ではありません。黒の表面の状態によっては、光を映し出すということに、ずっと後になって気が付きました。』

スーラージュは黒だけでなく、木の塗料brou de noixクルミのエキスを使った作品を沢山残し、若い頃は、このクルミ塗料ばかり使った時期がありました。そのためスーラージュと、クルミ液のやや赤みのある黄土色、薄茶、黒に近いこげ茶は切り離せません。才能ある建築家チーム Passelac & Roquesによって2014年に建てられたこの美術館は、外部に鋼版を使い、それが自然に錆びた色はこのクルミ液の色を思わせます。もちろんそれを狙って選んだ素材。数個の直方体を組み合わせた形も作品のイメージ、建物自体がスーラージュの作品とぴたり呼応し、そのハーモニーは見事です。内部は錆びの無い、照明や窓からの弱い光で微妙な色に変わる鈍い灰色の鋼板の床、壁に、黒、グレイ、少々の赤茶のみ。多分スーラージュ氏の上品な好みそのもの、そしてフランスのグッド・テイストの真髄のようなシンプルで極上の内部。相当お金がかかったでしょうね・・作品を鑑賞中も、あまりに建物も美しくて、最高の贅沢な気分でした。 こんな田舎(失礼!)にこんな美術館とは、フランス人が時たま見せる粋な閃きですね。

 Musée Soulages     Jardin du Foirail, Avenue Victor Hugo, 12000 Rodez