Carlotte Perriand/ L'art brut, Japon etc.
12月初めに始まった国鉄とメトロのストライキが、まだ続いています。1号線は幸い運転手無しのオートマティックなので、機械はストをしないから殆ど正常運航(全線オートマティックにするべきだ!)。それに乗ってルイ・ヴィトン財団美術館のシャルロット・ペリアン展に行ってきました。並ばずにすんなり入館でき、ビジターが少なく快適だったのは皮肉にもストのおかげ・・
シャルロット・ペリアンはル・コルビュジエ建築の殆どの内装を手掛けた事で有名なインテリアデザイナーでした。今回の展覧会は、20、30年代に新しい世界、新しい住居を追求し、生涯未来を見つめ続けたペリアン(1903-99年)を多様な面から紹介しています。例によってフランク・ゲーリーの広い建物のスペースをふんだんに使った大展覧会なので、ここではその中から印象的だった、ペリアン+アール・ブリュット/フェルナン・レジェ/ル・コルビュジエ、ペリアン+日本について取り上げました。
これらの美しい写真は、まるでレンズのような丸い氷の塊をテーマに、氷の透明な部分と曇った部分、中に閉じ込められた落ち葉や枝、太陽、空、そして支える手にインパクトがあり、子供のように遊び心一杯なポエジー。30年代の写真で、フェルナン・レジェ、ル・コルビュジエの従兄ピエール・ジャヌレ達と、自然の中に面白い "形" を見つけては写真に撮り、彼らのインスピレーションソースとしていたそうです。
下写真は、ペリアンのオフィスに飾られていた流木。
海岸で奇妙な形の石や流木、流れ着いた様々なオブジェを拾い、それをペリアンが写真に撮り、フェルナン・レジェがデッサンした作品が沢山展示されていました。レジェは私の好きな画家ではないのですが、この展示を見て、彼の絵のナゾがある程度理解できるようになりました。
彼らはこのような自然のオブジェだけでなく、当時目覚ましい発展を遂げていた飛行機、自動車などの工業生産にも大きな興味を持っていたそうで、レジェが機械や工具などのモチーフを沢山描いている理由も納得。ペリアンはボールベアリングの金属ボールを繋いでネックレスにしています。
写真はシャルロット・ペリアンのメモ帳の代わりで、風景、自然、オブジェ、デッサンなど、全て写真に撮っていたそうです。それも敢えて遠近法や構図を無視した、真正面からスバリの写真で、それを彼女は art brut アール・ブリュットと呼んでいました。既成に芸術的とされている概念に捕らわれない生のアートです。
下は左側が彼女の写真、右がレジェのデッサン。
シャルロット・ペリアンのデザインと日本も、切り離して考えることはできません。1940-42年、日本政府からの要請で工業デザインの顧問として日本に招待され、1941年高島屋で "選択、伝統、創造" 展が開催されます。また1953-55年にも日本に滞在し、"芸術の総合への提案" 展を企画。
1937年のUAM展のパビヨン用にデザインされたものを、日本の技術と竹を素材として作り直して高島屋に展示されたメアンドル・ベンチ。
日本に向けてペリアンがマルセーユから乗った船の甲板に、船乗りがチョークで書いた落書きがあったのだそうです。これをペリアンが写真に撮り、後に作ったのが上の黒白の斬新なカーペット。撮った写真も一緒に展示されていました。
竹製シェーズロング
日本のお膳と折り紙からインスピレーションを受けたサイドテーブル。一枚のアルミ板を折った単純なデザイン、積み重ねて収納可。彼女は日本の、ベッドも机も椅子も無いシンプルな畳の生活に大いに感激したようです。しかし現代はベッド、机、椅子の無い家は珍しいし、畳も少なくなるばかり。これはいったい進歩なのか後退なのか?
展覧会の為にペリアンが発注したすだれのサンプル。フランスで売っている簡単で安価な日除けのすだれは、ペリアン女史が日本から持ち帰ったデザインがルーツなのかも・・・フェルナン・レジェ、ル・コルビュジエ、ピカソなど、ペリアンと関係の深かったアーティスト達の絵画、タピストリーが豊富に展示され、絵画展としても見ごたえ十分でした。
展覧会のポスターに使われたノーブラのペリアンの、自信に満ちた爽快な後姿。お婆さんになってからも、ショートヘアーの可愛い人でした。
Le monde nouveau de Charlotte Perriand 2月24日まで
https://www.fondationlouisvuitton.fr/en/exhibitions/exhibition/charlotte-perriand.html
Fondation Louis Vuitton, 8, Avenue du Mahatma Gandhi, Bois de Boulogne
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