5/25/2017

女王陛下のマルグレーテ・ボウル


Margrethe Bowls

上の写真はヨーロッパ、アメリカ、そして日本でもよく見かけるお料理好きの頼もしい見方、ミキシング・ボウル。コピーも沢山出ているけれど、オリジナルはデンマークのRosti社、1950年頃から販売され続けています。
お手頃価格で丈夫なメラミン製、便利な注ぎ口、ミキサーをかける時に、ボウルを支えるのに都合の良い小さな出っ張り、大中小がすっぽり重なり収納に便利、可愛らしいフォルムと美しい色・・・このシンプルisベストのお手本のようなグッド・デザインの名前はマルグレーテ・ボウル、デンマーク女王マルグレーテ2世の名前が付いています。というのも、これをデザインしたのがマルグレーテの叔父さんスエーデンのプリンスだから。

コペンハーゲンの装飾美術館に展示されていたマルグレーテ・ボウル

この叔父さんはシグヴァ―ト・オスカー・フレドリック・ベルナドット、1907年にスエーデンのグスタフ・アドルフ6世の次男として誕生。1934年に平民の女性と結婚したため、結婚は認められたけれどプリンスの地位を失います。そして彼の妹イングリッドが、デンマークの王子後のフレドリック9世と結婚して生まれたのがマルグレーテ。
平民になったからかどうか、ベルナドットは生涯第一級のデザイナーとして活躍しました。彼はあらゆる物のデザインを手掛け、ジョージ・ジェンセンの銀器のデザイナーとしても有名。豪華な銀のティーセットにでなくて、日常使いのメラミンのボウルに王女(当時はまだ王女だった)の名前を付けたのが、なんとも楽しい! でもタダのボウルと侮れません、北欧デザインの、押しも押されぬベストセラー・デザインです。

5/19/2017

注染手拭い "にじゆら" / 2k540 東京No.3


"Nijiyura" un spécialiste de Tenugui japonais /2k540 Tokyo No.3

上野の西洋美術館とスケーエン派の展覧会について4月に書いてから1か月も経ってしまいましたが、2月の東京滞在中のお話の続き、これがラストです。
御徒町の2k540という、ちょっと変わったカルチャー/ショッピング・スペースで見て、すっかりファンになってしまったのが注染(ちゅうせん)の手拭い専門店 ″にじゆら″ 。注染とはその時初めて知ったのですが、文字通り染料を注いで染める技法だそうです。さらし木綿を手拭いのサイズに折り畳んで重ね、型紙を乗せ固定し、輪郭の周りを糊で防染してから色を流し込む染色。染料は下に沁み通るので一度に3、40枚染色でき、また両面染まるので、裏表ができません。熟練の職人さんの手から生まれる注染は「にじみ」や「ゆらぎ」が少々でるのですが、それが機械刷りにはない暖かさをプリントに添えています。名前の「にじゆら」はこれが由来とのこと。

特に感激するのはそのプリントの美しさ。丸、四角、線を組み合わせたジオメトリー柄から、ちょっぴり北欧風や、現代風にアレンジされた日本の伝統デザインが、シンプルそうでしかしとても繊細、そして日本ならではの色使い。こういうところが、海外のデザイナー達が日本に注目している理由の一つなのでしょう。
全く違った柄同志が集まってもそのハーモニーがきれいなので、どれを選ぶか迷って、つい沢山まとめて買いたくなってしまいます。
 

さて器の方の 2k540(ニーケーゴーヨンマル)は、秋葉原ー御徒町間の高架線の下を利用した広いスペースで、このあたりが江戸時代には手工芸人の町だったことから、物づくりをテーマとした施設としてオープンしたそうです。アトリエや工房を備えてビジターが体験できるような、職人的クリエーターのショップが多く集まっています。こういった、普通なら倉庫や駐車場にしかならないような意外な場所を利用したカルチャー施設は、世界中の大都市どこでも大ブームですが、日本にもあると知って嬉しくなりました。

天井が高く、高架線を支える円柱が並ぶ2k540。日本ではなかなか見られない、このドーンと広くて豪快なロフト風の空間がとてもおしゃれ。

にじゆら 東京都台東区上野5-9-18 2K540 AKI-OKA ARTISAN  http://nijiyura.com/
2K540 AKI-OKA ARTISAN  http://www.jrtk.jp/2k540/

5/11/2017

板茂さんのインタビュー


Entretien avec Shigeru Ban, l'atchitecte japonais de La Seine Musicale

セガン島に新オープンした音楽専門の大総合施設、ラ・セーヌ・ミュジカルの建築を手がけた建築家、板茂氏の素晴らしいインタビューがル・モンド誌に出ていました。外国に住む同じ日本人としてとても誇らしい内容だったので、その要約をご紹介します。

ル・モンド(LM): ラ・セーヌ・ミュジカル(LSM)は、あなたの今までのスタイルと違っているのですが、どうしてでしょうか?
板茂(BS): 色々な制約があったのです。県からは、パリの入り口にあたるので、シドニーのオペラハウスのようにシンボルとなる建築を依頼されていました。またジャン・ヌーヴェルのセガン島の開発計画に従って、元ルノーの工場の島だということを踏まえて設計しなくてはなりませんでした。そして外に展開される予定の商店街の延長をLSMの中に作り、島を取り囲む緑の遊歩道に呼応して、屋上に植物を植えました。6千㎡のソーラーパネルもプログラムに入っていたのです。私はこのソーラーパネルを、オーディトリウムのドームを包む帆に付け、それがレールの上を太陽の動きと一緒に移動するようにしました。その結果、LSMはとても目立ち象徴的とさえいえる、私の今までの建物とは違う建築になったのです。

LM: もうひとつの特徴はホールの巨大なピクチャーウインドーですね。周囲の環境にオープンな建物という姿勢は、あなたの仕事に一貫していますね。
BS: そうですね、ほとんどの美術館が黒い箱のように作られるのに、私の設計ではいつも街と繋がりがあります。人々がそこに行きたいと思うような建物であるべきだからです。それでピクチャーウインドーが開いて、外の広場が建物の中に続くようにしたのです。同じ理由から、ファサードに巨大スクリーンを設置しました。コンサートが実況で映されることを希望しています。

LM: とてもユニークなのは紙チューブの使用で、コンサート会場の椅子や天井にまで使っていますね。どうしてこの素材を使うようになったのですか?
BS: 私はフィンランドの建築家アルヴァ・アアルトのファンです。1986年に東京で彼の回顧展のデザインを担当した時、木材を使う資金がありませんでした。それで紙チューブを使ったのですが、それからは特に仮設住宅などで、私の重要な素材になりました。例えばイタリアの地震の後で、紙チューブでコンサート会場を作りました。避難場所の体育館にカーテンを作って、被災者の家族が最小限のプライバシーを保てるようにしたりもしました。

LM: なぜそんなに仮住宅に熱心なのですか?
BS お金持ちや権力者が、目に見えない富を見せつけるために建築家に巨大な建物を注文し、彼らのために働くのが建築家の仕事だと知った時、私はとてもがっかりしました。もちろんそういう仕事の一面も承知しています。けれど災害で住居が壊れ人々が路頭に迷うのは、建築家の責任だと私は考え、だから責任を負いたい。仮住宅の仕事は、まったく当然でやるべき事だと思うのです。

LM: それらの仮建築が、ニュージーランドのクライスト教会のように、時として恒久的なものになることがありますね。仮のプロジェクトはどのように仕事するのですか?
BS: 設計する時、それが仮か恒久かはわからないのです。神戸に建てた紙の教会は10年もちこたえ、解体されて地震後の台湾に移されましたが、22年後の今も台湾で教会として使われています。仮と恒久を分けるのは建築資材ではなく、プロジェクトの質です。不動産業者の欲のために建てられたコンクリートの建物は、私のいくつかの紙の仮住宅ほど長持ちしないかもしれません。
( Le Monde 20/04/17)

以前このブログで取り上げた、同じく建築のノーベル賞とも言えるプリツカー賞を受賞したグレン・マーカットのインタビューと合わせて読んみると、考え深いものがあります。真に世界のトップと言われる人々は、明確な価値観と世界的なヴィジョンを持ち、人間としても卓越しているものだと関心させられます。

注: インタヴューは恐らく日本語か英語、それがフランス語の記事になり、さらにここで日本語に訳したので、オリジナルインタヴューと微妙なニュアンスが少しずれているかもしれません。

5/06/2017

板茂さん設計のラ・セーヌ・ミュジカルがオープン


L'ouverture de La Seine Musicale dessinée par Shigeru Ban

パリ市内を出たセーヌ河が、ヘアピンカーヴで大きく蛇行して北に向かう中州、セガン島に、また新しい音楽の殿堂ラ・セーヌ・ミュジカル(LSM)がオープンしました。プリツカー賞を受賞した日本の誇る建築家、板茂さんが建築を担当し、日本でも最近大きなニュースになりましたね。
セガン島は1世紀近くルノーの工場の島として栄え、未だに年配の人は、セガンと言えば皆ルノーと考えるくらい。現代のノルマに合わなくなって1992年に工場が閉鎖してからは、幾つかプロジェクトがあったにも関わらず、約20年間幽霊島のように放置されていました。持ち主のオー・ド・セーヌ県がジャン・ヌーヴェルに依頼し、2014年に島全体の再開発が始まり、まず一番メインとなるLSMがこの4月にオープンしたのです。

中州にあるのでもちろん両側は水。両岸とは橋で繋がった巨大な船のような形で、その約三分の一に当たる頭の部分がLSMです。一番前がテラス、次にドーム型1150人収容のオーディトリウム(クラッシック、ジャズ用)、後方の白い建物が6000人収容のグランド・セーヌ(ロックなどアンプを使う音楽用)。中には数々のリハーサル室、オーディオ室、小学生から青少年向きの音楽教育の施設なども完備。屋上は植物を植えた空中公園。
長かった工事中、車で側を通りがかるたびに恐れ、心を痛めていましたが、完成した姿は案の定、セーヌはこうあって欲しいと思うどちらかというと保守的な私のイメージに全然マッチせず・・トルコの宮殿みたいだ、ジャン・ヌーヴェルのフィルハーモニー・ド・パリに匹敵する醜さ・・しかしオープニングの記事を新聞で読んで意見を変えました。このドームの外側に船の帆のように広がっているのはソーラーパネルで、それが太陽光線を目いっぱい受けるように、太陽と一緒に回転するのだそうです。だから丸い。しかもこの帆は太陽光発電の役割だけでなく、太陽を遮断して内部の空調にも貢献する。奇をてらうための無意味な資材の浪費ではない、スバラシイ! ドームの音響効果もスゴイという話だし、こういう事情ならば、セーヌに忽然と現れたトルコ船も仕方ない、早く実際のコンサートで内部を見てみたいものです。
ル・モンド誌に出ていた坂氏のインタヴューがとてもよかったので、次のブログに書きます。
ファサードの大ピクチャーウインドーは、どのようにかはわからないけれどオープンするらしい。外の街と建物の中との繋がりを作るためだそうです。
あちこちに置かれた、コンサートの休憩等の時に座るちょっと面白いベンチ。ゴムのような手触りの素材は、坂氏特有の素材、紙のチューブをつかったもののようです(??)
ドームを下から見たところ

これは正面。超巨大スクリーンには(多分パリで初めて)広告が映し出されて興ざめですけど、これだけのプロジェクトを進めてゆくにはオート・ド・セーヌ県も資金はいくらあっても足りないのでしょう。でもコンサートが実況でここに映し出されるのだそうです。
左の階段を登ると、眺めの素晴らしい芝生の屋上公演に出られます。
こちらは巨大スクリーン広場からムドンの町に続く橋。急速なコンクリート化が進むセガン島周辺では珍しく、昔のままの風景が残っている部分。でも風前の灯。
セガン島の、まだ開発が始まっていない船尾の部分(その他の文化施設、映画館やレストランができるらしい)と、ムドンから、元々工場が沢山あり、今急速にアパートに変わっているイッシー方面を見たところ。

このLSMでひとつだけ疑問は、パリ側にはメトロ9線Pont de Sévre駅、ムドン側にはトラムT2線 Brimborion駅があるけれど、どちらも橋を渡ったすぐ目の前ではないので、ちょっと遠い感じなこと。プログラムが夜11時近くに終わり、冬の夜道を、しかも吹き曝しの橋を渡るのは、クラッシックの演奏会でよく見かける足元の危ないお年寄り達には大変そう。

既に大御所のエマニュエル・エイムに迫る女性指揮者、ロランス・エキルベイとそのインスラ・オーケストラが、LSMをホームグランドとして活躍することになりました。すごい抜擢、女性の大いなる進出に拍手。
またカウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーが、コンセルヴァトワールに入る年齢以前の子供7-12才と、その後18-25才の青年達の為のフィリップ・ジャルスキー音楽アカデミーを創設し、LSMの中に組み込まれました。自分の家は音楽に縁がなく、中学の時の音楽の先生の勧めがなければ今の自分は無かった、沢山の子供が音楽に接することができるようにという趣旨。素晴らしい歌はもちろん、人間的にも、口の悪いパリジャンから誉め言葉しか出てこない彼の夢の第一歩、これも拍手です。
このアカデミーに加えて、オペラの正規子供コーラスもLSMがホームグランドになります。

注: 敬称なしがこのブログのモットーなのに、日本人だけ ″さん″ が付いているのは、日本人の姓に敬称が付かないと、かっこが付かないから。大げさに言うと指名手配の犯人風の響き?というか、とても失礼な感じがしてしまうのは私一人でしょうか。日本人の特別扱いでは絶対ありませんのでご理解下さい。