Entretien avec Shigeru Ban, l'atchitecte japonais de La Seine Musicale
セガン島に新オープンした音楽専門の大総合施設、ラ・セーヌ・ミュジカルの建築を手がけた建築家、板茂氏の素晴らしいインタビューがル・モンド誌に出ていました。外国に住む同じ日本人としてとても誇らしい内容だったので、その要約をご紹介します。
ル・モンド(LM): ラ・セーヌ・ミュジカル(LSM)は、あなたの今までのスタイルと違っているのですが、どうしてでしょうか?
板茂(BS): 色々な制約があったのです。県からは、パリの入り口にあたるので、シドニーのオペラハウスのようにシンボルとなる建築を依頼されていました。またジャン・ヌーヴェルのセガン島の開発計画に従って、元ルノーの工場の島だということを踏まえて設計しなくてはなりませんでした。そして外に展開される予定の商店街の延長をLSMの中に作り、島を取り囲む緑の遊歩道に呼応して、屋上に植物を植えました。6千㎡のソーラーパネルもプログラムに入っていたのです。私はこのソーラーパネルを、オーディトリウムのドームを包む帆に付け、それがレールの上を太陽の動きと一緒に移動するようにしました。その結果、LSMはとても目立ち象徴的とさえいえる、私の今までの建物とは違う建築になったのです。
LM: もうひとつの特徴はホールの巨大なピクチャーウインドーですね。周囲の環境にオープンな建物という姿勢は、あなたの仕事に一貫していますね。
BS: そうですね、ほとんどの美術館が黒い箱のように作られるのに、私の設計ではいつも街と繋がりがあります。人々がそこに行きたいと思うような建物であるべきだからです。それでピクチャーウインドーが開いて、外の広場が建物の中に続くようにしたのです。同じ理由から、ファサードに巨大スクリーンを設置しました。コンサートが実況で映されることを希望しています。
LM: とてもユニークなのは紙チューブの使用で、コンサート会場の椅子や天井にまで使っていますね。どうしてこの素材を使うようになったのですか?
BS: 私はフィンランドの建築家アルヴァ・アアルトのファンです。1986年に東京で彼の回顧展のデザインを担当した時、木材を使う資金がありませんでした。それで紙チューブを使ったのですが、それからは特に仮設住宅などで、私の重要な素材になりました。例えばイタリアの地震の後で、紙チューブでコンサート会場を作りました。避難場所の体育館にカーテンを作って、被災者の家族が最小限のプライバシーを保てるようにしたりもしました。
LM: なぜそんなに仮住宅に熱心なのですか?
BS お金持ちや権力者が、目に見えない富を見せつけるために建築家に巨大な建物を注文し、彼らのために働くのが建築家の仕事だと知った時、私はとてもがっかりしました。もちろんそういう仕事の一面も承知しています。けれど災害で住居が壊れ人々が路頭に迷うのは、建築家の責任だと私は考え、だから責任を負いたい。仮住宅の仕事は、まったく当然でやるべき事だと思うのです。
LM: それらの仮建築が、ニュージーランドのクライスト教会のように、時として恒久的なものになることがありますね。仮のプロジェクトはどのように仕事するのですか?
BS: 設計する時、それが仮か恒久かはわからないのです。神戸に建てた紙の教会は10年もちこたえ、解体されて地震後の台湾に移されましたが、22年後の今も台湾で教会として使われています。仮と恒久を分けるのは建築資材ではなく、プロジェクトの質です。不動産業者の欲のために建てられたコンクリートの建物は、私のいくつかの紙の仮住宅ほど長持ちしないかもしれません。
( Le Monde 20/04/17)
以前このブログで取り上げた、同じく建築のノーベル賞とも言えるプリツカー賞を受賞したグレン・マーカットのインタビューと合わせて読んみると、考え深いものがあります。真に世界のトップと言われる人々は、明確な価値観と世界的なヴィジョンを持ち、人間としても卓越しているものだと関心させられます。
注: インタヴューは恐らく日本語か英語、それがフランス語の記事になり、さらにここで日本語に訳したので、オリジナルインタヴューと微妙なニュアンスが少しずれているかもしれません。
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