Camille Claudel/ Nogent-sur-Seine
踊っているのか、恍惚と二人だけの世界に漂う男女の像、何もコメントなど必要ない、人の心にストレートに訴えかけるこの作品は、カミーユ・クローデルの傑作。彼女が少女期を過ごしたノージャン・スル・セーヌNogent-sur-Seineの町に、今年の3月にオープンしたばかりのカミーユ・クローデル美術館にあります。
この美術館がオープンした時は、Cクローデルがやっと偉大な芸術家として正当な扱いを受けたとメディアで大きな話題でした。なにしろ70年代までは二束三文の価値しかなかった彼女の作品が、やっと日の目を見たのが80年代、彼女の伝記小説がベストセラーになり、88年イザベル・アジャーニ主演の映画の大ヒットが決定的でした。けれどもこの美術館が今年できるまでは、それからまた30年の年月が経っているのです。
ロダンの弟子、アシスタント、ミューズ、愛人、ライバル、そして色々な意味で彼の ″気狂い女une folle″ と、ロダンに従属する名前でしか呼ばれなかった女性、炎のような個性、才能、嫉妬、そして30年もの間精神病院に隔離され亡くなった狂気・・・
ノージャンには昔彫刻のアトリエがあり、当時有名だったアルフレッド・ブーシェが少女カミーユの才能を認め、その道に進むように勧めたそうです。初期にカミーユが影響を受けたノージャンの先輩、先生達の彫刻がRoom 1に集まっているのですが、全く古典的というか伝統的。次にカミーユの作品の部屋に移ると、その斬新でアヴァンギャルドな躍動する彫刻はちょっとしたショックを感じるくらい。
実は私はCクローデルの小説も映画も見ていません。そのため彼女の事をよく知らずに鑑賞したのですが、痛々しいくらい何かを求め続け、苦悶し、得られなかった人だと痛感しました。でも嫉妬や狂気は全く感じません。美術館が安易なセンセーショナリズムで狂気を売り物にせず、淡々と静かに展示しているお陰かもしれません。上の少女の像3つ、ある城主の娘がモデルなのですが、この訴えかけるひたむきな目は、カミーユ自身のものではないか?
4才年下でとても仲のよかった弟ポール・クローデルの像。外交官としてアジアの滞在が長く、姉をバックアップする時間がなかったのか?? 作家としても成功した彼、苦しむ姉を助けてあげることはできなかったのか?
カミーユ作のロダンの像
こちらはロダン作のカミーユの像。二人とも真の芸術家だから、見たままをただ映すだけでなく、相手の心や自分の心が作品に反映されます。エゴが強そうで力に満ち、敵を叩き潰すことのできる、しかしとても魅力的な壮年の男の像と、うつむき、何かをじっと考え込んでいる、悲しそうな田舎の小娘の像・・・
ロダンの目には、本当にカミーユはこの像のように見えたのか? 彼女は内にある炎を表に見せない人だったのか? それとも彼女の才能と燃えるような性格を知りすぎていたからこそ、逆に、もしかすると我知らず、ロダンはこのような像を作ってしまったのか?
さっきから私の??の疑問については、映画や本に答えが出ているのかもしれません。でも映画も本も作者の解釈したCクローデル像なので、疑問は??のままで残しておこうかと思っています。しかし、この2つの像を見る限り、二人の勝負の結果はおのずと明らかな気がしました。
さっきから私の??の疑問については、映画や本に答えが出ているのかもしれません。でも映画も本も作者の解釈したCクローデル像なので、疑問は??のままで残しておこうかと思っています。しかし、この2つの像を見る限り、二人の勝負の結果はおのずと明らかな気がしました。
これはオルセー美術館に大きな像の展示されている作品の、習作と5-60cmの小型版。去てゆく、または連れ去られる男の後を追い、懇願する女性・・彼女の叫びが聞こえてくるような作品。
暖炉に寄り掛かる女性、ほんの15cmくらいの小型の像。力尽き物思いに沈む彼女自身?
女性だったからか、ロダンの真似だとしか評価されなかったためか、注文が少なかった事と、自分自身で作品や習作を壊してしまった事などから、彼女自身の作品が少ないのが少々物足りなく残念です。
ノージャン・スル・セーヌの町は古い交通の要地でしたが、中心にまだハーフティンバーの建物が少々とカテドラルの残る外は、あまり特色のない落ち着いた小都市。セーヌ岸のハイキングコースが美しそうですが、時間がなくて断念しました。
パリから電車が少ないので時刻表をよく確かめる事。均一料金5ゾーン外です。
Musée Camille Claudel 10 rue Gustave Flaubert, 10400 Nogent-sur-Seine