9/27/2019

フィンランド大使館のインテリア


Les mobiliers de l'ambassade de Finland

先週の週末は文化財の日で、フィンランド大使館に行ってみました。
どこの国でも大使館は、建物やインテリアをお国柄のデザインでアピールしますが、フィンランドもその例にもれず。入り口すぐの階段の上には、アルヴァー・アアルトのランプ、ゴールデンベルが下がっているのが見えます(トップの写真)

北欧家具のシンプルさ、すっきりして何の凝った飾りもないフローリング、天井、壁、全てアットホームで、堅苦しい大使館のムードは全くありません。そしてパリのど真ん中だというのに、ここには全くフランスの匂いがしません・・・そう、もうここはフィンランドなのです・・・
インテリアに使われているテキスタイルが、どれもとても新鮮。上は壁に飾られたウールのタピストリー 。
セーヌ河沿いの壁いっぱいに並んだ窓を飾るカーテンは、リサイクルペーパーで作った糸を手編みした作品。たっぷりドレープして素晴らしい。
このような手工芸品、椅子、ソファー、ランプ類の作者、デザイナー、エディター名をリストしたコピーが、ビジター用に置いてあります。
会議室らしい部屋は、文化財の日なので特別にテーブルセッティングがされています。
壁の絵もフィンランドのアーティストの作品で、タイトルはIcy Prospect。フィンランドの自然のアブストラクション+マリメッコの食器+ちょっと可愛いシャンデリアと壁の照明という組み合わせ。上手いですねー。

9/19/2019

オディール・デックのユネスコ・ソファー/ 女性建築家No.3


Fauteuil UNESCO, Odile Decq/ Femmes architectes No.3

建築家のファーニチャー展のラスト、3人目の女性建築家はオディール・デック(1955年~)です。
展示されていたのは以前ユネスコのブログで取り上げた、会議室前の広いロビーを飾るソファー。ユネスコは建築当初から、世界のアーティスト達の作品を建物の内装に取り入れてきました。このO・デックのソファーは、2000年のコンペで優勝したものです。

以下は実際にそのソファーを使っているユネスコの写真、2年前に使いましたが再登場してもらいました。
ソファーの折り紙のような面白い形は、尼僧のフード、コルネットと呼ばれるユネスコ入り口の屋根、又はピロティーなどのフォルムを連想します。ホールの受付のカウンターもコンペで優勝した彼女のデザイン。ちょっぴり宇宙的でもあり、見方によっては60年代ヴィンテージっぽくもあり、ユネスコの雰囲気にマッチしていました。
   

このブログでは、あまり政治的な事や、宗教思想など個人的な事は触れないと決めています。しかしオディールデックの話は、フェミニズム無しに語る事はできません。
まず彼女の写真を見てください。若い頃からずっと(現在60代半ば)真っ黒な乱れたロングヘア、誇張されたコスメ、黒装束のゴシック/パンクルックです。世界的に評価される数少ないフランス女性建築家、マジメなビジネスの世界で成功した女性で、このようなスタイルをキープし続ける人は珍しいのではないでしょうか。筋金入りの反逆者だということを、身をもって表現しているのではないかしら・・建築という男世界で、相当な苦労をしたようです。彼女の作品は、アシメトリーで "ズレ" のある アンチ・コンヴァンショネル。空中の通路とか、カラー(特にレッド)の使い方など目を楽しませるトリックも。実際見ていないので写真からの判断ですが、彼女のデザインした建物は、そのわりには案外リーズナブルです。それほど巨大な建物を担当していないからかもしれませんが。
パリの建築学校で教師及び校長を務め、後にリヨンに自分の建築学校を建て、今パリにも別の学校がオープン予定。世界各国の学校でコンファレンスなど教育にもとても熱心です。

建築科の学生は60%が女性なのに、自分のオフィスを持ってそのヘッドとして仕事をするのはその10%にも満たないそうです。ある女性建築家のコメント:  女性建築家賞はあるが、男性建築家賞はない。女性建築家賞をもらった時は、複雑な気持ちだった。なぜ "女性" でなくてはならないのか? 迷った末、しかしまずここを通らなければならないのだと思い、受賞しました。

9/12/2019

ライト・モリスの写真小説


Wright Morris, L'essance du visible/ Fondation Henri Cartier-Bresson

ライト・モリス(1910-1998年)はアメリカの作家/写真家。故郷はネブラスカ。生まれてすぐ母親を亡くし、鉄道員の父親の仕事で西部の町々やシカゴを転々とし、彼の作品とアメリカ西部のイメージを切り離すことはできません。20代のころから本格的に写真と物書きを始め、40年頃から小説を出版する一方、46年に写真と文章が一体となった写真小説 The Inhabitants を発表。彼にとって写真は、一瞬のエッセンスをとらえるのであり、小説はその一瞬をことばで表現するもので、写真はテキストに従属してはいず、どちらも独立して存在できる作品なのです。彼の獲得した数々の賞の初めは、42年と46年のグッゲンハイム奨学金の写真部門でした。作家より先に写真家として認められていたようで、2、3冊の写真小説を残しました。

しかし写真が余計だという読者と、逆に写真が気に入った人は全く小説の方を読まないという現象が起こります。    "いったいこれは小説家が写真を撮っているのか、写真家が小説を書いているのか? 両刀使いは疑問視され、どちらかが本物でないと思われれました。私の出版社がそれらの批評を読み、本の売り上げ額をチェックし、そして私に『本職の作家に集中してみないかね』というアドバイスをしました。私は怒り、傷つき、失望しました・・でも写真付きの本の出版はお金がかかり、スクリブナース出版社はもうだいぶ損をしていたのです"
モリスは50年を境に、個人的には撮っていたかもしれないけれど、公にはぴたりと写真を止め、以後は "本物の" 作家として多数の文学賞を獲得しています。
現代だったらきっと写真小説なんて何も問題なかっただろうと思いますが・・・


彼の写真は身近な西部の農場や町角を、まるで無頓着にストレートに捉え、一見無骨にすら見えます。そのころの農民の生活の厳しさが、そのまま写真ににじみ出ているよう・・全部読む時間はなかったのですが、彼の文章から、素朴なアメリカの田舎の、新約聖書とか清教徒のイメージが伺われるような・・・カトリックがベースにあるフランスやイタリアとは、ちょっと違った感じがしたのは気のせいかしら・・・


展覧会は、モンパルナスからマレに移転したアンリ・カルティエブレッソン財団の新しいギャラリーで開催中です。

Wright Morris, L'essence du Visible
Fondation Henri Cartier-Bresson    79 Rue des Archives 3e  9月29日まで

9/04/2019

ザハ・ハディッドのアイスベルグ/ 女性建築家No.2

 

Iceberg de Zaha Hadid/ Femmes Architctes No.2

建築文化財博物館 "建築家のファーニチャー展" の女性建築家No.2はザハ・ハディッドです。
この展覧会はいつもと違って、博物館に併設の建築専門の図書館の入り口から、中世の天井画の再現された閲覧室を通って博物館に入るコースになっていました。そのおかげで図書館の一部をちょっぴり覗くことができました。
 
        図書館入り口付近
サン・サヴァン教会(ヴィエンヌ)の壁画を忠実に再現した天井に、ウルトラモダンな閲覧室の椅子、テーブル、ランプ。素晴らしい環境の勉強室。

この閲覧室を通り過ぎると展示が始まり、ここからが本題です。
一番最初の、中世の壁画に覆われたドームのある荘重な展示室に入って、すぐに目に飛び込むのがZaha Hadidの名前。ドームの真下に、まるで玉座のように設置されたサークルの舞台の上に、ザハ・ハディッドの作品が飾られていました。タイトルは氷山アイスバーグ。


入り口から見るとこの形で、こちらが正面なのでしょうか? 私はブログトップに載せた写真のアングルの方が、まるでヴァイキングのドラッカーかヴェニスのゴンドラのように、力強く、また優雅で流動性があって美しいと思うのですが・・・散文的に言うとこれはベンチ又は長椅子、でもまるで彫刻ですね。誰かがゆったりと座るならば、現代のクレオパトラとか・・・
展示品全部の中で、これがダントツに広いスペース、華麗でドラマティックな演出だったのが印象的でした。プライベートな事は全く知らないのですが、亡きハディッド氏の好みや人柄にマッチした演出だったのでは・・?


驚くほどの曲線の美しさ、不可能そうな建築を可能にするパワーは本当にすごと思いますが、私は彼女のファンではありません。沢山の資源を使って、敢えて奇抜な形の建築物を作る事に疑問を持ち、巨大建造物拒否症でもあるからです(これは彼女に限らず、多くの建築家にいえる事)。アイスバーグも、豪華ホテルのロビーやパレス用の椅子ですね。要するに私は貧乏性、好みは数日前女性建築家No.1で書いたリナ・ボ=バルディの椅子の方なのです。

ザハ・ハディッドと言えば東京の新国立競技場。好き嫌いは別として、最初のハディッド案は宇宙船や未知の国の生き物を思わせるスゴイもので、シャープな曲線がとても印象的。高すぎると値切られて出された修正案は、初めのデザインの一番素晴らしい部分が切り取られ、何の美しさも無い似て非なるもの。最初の案は素人目にも、最新のテクノロジーが必要で、いかにもコストが高そうに見えます。それを日本政府が選んだのですよね。世界をあっと言わせる競技場を作れと要求し、お金は出せないとは幼稚。初めから資金優先を表明し、世界に向かってコンペなどしなければよかったのです。なぜならランドマーク的な建造物の世界コンペとは、世界でトップの技術とデザインを募集するためであって、経済的で無難な建物を建てるためではないのですから。
世界でたった一人、女性単独でプリツカー賞を受けた建築家ザハ・ハディッドは,その後惜しくも急逝されてしまいました。そのため幸か不幸か、日本は彼女の驚くべき建築を国内に実現させる機会を永遠に失ってしまいました。

Le Mobilier d'architects 1960-2020    9月30日まで
Cité de L'architecture & du Patrimoine,  1 pl.du Trocadéro 16e