7/01/2015

装飾美術館のボタン展


Déboutonner la mode/ l’exposition des boutons au Musée des Arts Décoratifs

ほんの小さなボタンが、ファッションを作りだす・・・そんな重要な役割を果たしてきたボタンを集め、歴史的な流れを追った展覧会が装飾美術館で展示中です。ロイック・エリオという個人コレクショナーが集めた、世界で唯一の珍しいボタンのコレクション(3000個)に、装飾美術館所蔵のコスチュームを加えた展示で、小さいながらボタンが、ファッションはもとより、ヨーロッパの文化、歴史、芸術、工芸と深く関わりあっていたことがよくわかります。


入り口を入ってすぐに、ボタンの第1黄金期18世紀後半のボタン達が。ボタンの登場は遅く、14世頃までの服着脱は、毎朝晩縫い付けたりほどいたり!していたらしい。その後ルネッサンス期は紐で締めたり結んだり、そういえばルイ王朝以前は、ボタンらしき物は肖像画などで見た記憶がありません。ボタンが″発明″されるとすぐに、ファッションの花形となり、ボタンの方が服自体より高価、なんてこともしばしばあったそうです。上は当時の貴族男子のジャケット生地の、裁断前の写真。生地の余白には、身頃とアソートの精密な刺繍のくるみボタン用の部分があります。前身頃、カラー、袖口、ポケットに刺繍が施されてから布をカットしたのですね、カット失敗したら大変、裁断は勇気が要りそう。
              

刺繍のくるみボタンだけでなく、金、銀、宝石の細工、カメオ、風景や肖像を描いた陶器(一つ一つ違う手描き)など、華麗で繊細な、ビジュー・ボタンは圧巻。大きめのボタンが前身頃、袖口、後ろ身頃の腰のプリーツの部分、そして内側のチョッキにも小さいのが一列あるので、全部でいったい何個になるのか? でもチョッキのボタン以外は、純粋な装飾品ですね。王党派か革命派かがわかるデザイン、家族の肖像、神話を描いたボタン等々・・
不思議なことに、この時代の飾りボタンは男性用だけで、まだ女性のドレスに見られません。それが19世紀頃になると女性のドレスにもボタンが使われ、襟元からドレスの裾まで中央に一列に並んだり、袖口やウエストのアクセントに大き目の飾りボタンを付けたり・・ブロンテ姉妹風のドレスが何点か展示してありましたが、暗いので写真は断念。

 ポール・ポワレの夏のリネンのドレス1902年
 

じっくり見たら、丸一日かかりそうなコレクション、とても全部のスタイルを、このブログで説明できません。私は最初の王朝期のボタンでゆっくりしすぎて、後で時間が足りなくなってしまいました。現代になればなるほどデザインがシンプルになりますが、つまらないデザインになってくるかというと、とんでもない。30年代のエルザ・スキャパレリ、50年代はディオールやジバンシー、マドレーヌ・ヴィオネなどのクチュリエの台頭で、ボタンもブランドができ、組紐、藁やラフィア細工など、信じられないくらい多様なマチエールと工芸技術が使われ、陶芸家、彫刻家、画家などのオリジナルのボタンが作られました。芸術家の作品と、彼らのデザインしたボタンが一緒に展示され、ボタンは、さながら芸術品の様です。フランスが一番素晴らしいボタンを作っているそうで、展示品の90%がフランス製とのこと。 
展示は50年代まで、それ以後は大量生産の時代ですからね。それを見ただけでその人の地位が分かった程重要だったボタンも、それ以後は単なる衣服のパーツになってしまいました。

これはソニア・ドローネーがデザインしたボタン

ところで、私は王朝風のジャケットというと、どうしてもベアトリクス・ポターのピーターラビットのお話″グロースターの仕立て屋″を思い浮かべてしまいます。命を助けられたネズミ達が、病気の仕立て屋さんの代わりに、市長さんの結婚式用のジャケットを仕上げるお話です。以前原画をロンドンの美術館で見て、美しくかわいらしい水彩で忘れられません。

最後にサクランボ色の糸が足りなくなって、ネズミ達はボタンホールが1つだけ仕上げられませんでした。実はいじわるネコが隠していたのです。病気の治った仕立て屋さんは、ボタンホールを仕上げ、その見事な出来上がりで、以後注文が沢山来るようになりました・・・No more twist !″


Déboutonner la mode, Les Arts Décoratifs    107 rue de Rivoli, 1e   7月19日まで 

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