12/23/2020

カルチエ財団のポスター/ ポーズ・カフェ

L'affiche de la Fondation Cartier


 Joyeux Noël 
Merry Christmas
良いクリスマスをお過ごしください

あんなに嫌がっていたパリジャンも、もう外出に欠かせなくなってしまったマスク、クローズしたままの美術館の入り口をむなしく飾る展覧会のポスター・・・

親類一同がツリーを囲んで賑やかに祝う事ができない、寂しいクリスマスになってしまいましたね。コロナ以前の生活が、いかに自由で気楽なものだったか、それを失ってみてつくづくわかりました。
しかし希望を持って、できるだけポジティブな気持ちで、クリスマスを祝いたいものです ! 

12/15/2020

鉄骨の教会ノートルダム・ド・トラヴァイユ

 

L'église en fer et en acier, Notre-Dame-du-Travail

モンパルナス駅の裏手から南に伸びる線路沿いの、観光客はもちろんのこと、パリジャンの散歩コースからも遠く外れた場所に、あまり知られていないけれど、実はとてもユニークな重要文化財の教会があります。名前はノートルダム・ド・トラヴァイユ。トラヴァイユは仕事の意味なので、直訳すると ≪仕事の聖母教会≫。この地区が労働者の街だったことが由来です。1900年のパリの万国博覧会は、この地区の労働者達が建設に従事しました。


このパリ万博をきっかけに、多くなった住民を収容できるよう、元の小さな教会を立て直したのがこの教会、1902年に完成しました。
エッフェル塔は1887年に完成し、ペルエポックのこの時代は、今も沢山残る鉄骨の建築の全盛期です。工場で働く労働者達が、違和感なく気持ちよく来られるようにとの配慮から、木材の屋根組みに、新しい技術を使った鋼鉄のアーチが使用されました。


中世でなく近代に建てられた、フランスでは新しい教会のためか、鉄材の直線とカーブのシャープですっきりしたデザインのためか、暗さや重さの重圧を感じない・・・造りは伝統的なカトリック教会なのに、ちょっとプロテスタント教会のような雰囲気がします。

    正面入り口上のパイプオルガン

壁画も、色々な職種の守護聖人達が描かれています。


Église Notre-Dame-du-Travail   36 Rue Guilleminot 14e

12/03/2020

クエンティン・ブレイクのイラスト

Quentin Blake et le monde merveilleux

今日のブログは、外出制限令が出る前の10月に見た、クェンティン・ブレイクのイラストのお話です。よくしゃれたデッサンやサンペの絵などがショーウインドーを飾っている、イラスト専門の小さな画廊で、ブレイクが描いた、ラ・フォンテーヌの寓話の挿絵の原画を展示していました。

クェンティン・ブレイクは、その功績でエリザベス女王から貴族 "サー" の称号をまで受けている、数限りなくイラストの作品がある大イラストレーター。中でも世界中の子供達に親しまれているのは、作家ロアルド・ダールの本の、夢一杯で不思議な世界の挿絵ですね。オバケ桃、チャーリーとチョコレート工場、子供を食べようと決心した "どでかい" ワニ、マチルダ、魔女・・・ダール+ブレイクのコンビは60年代に始まり、半世紀以上経った現代も児童書の上位を占める本たち。親子3代で読んでいる人も沢山いるはずです。

                

                            

素晴らしいポートレートも7、8点展示されていました。コンテかパステルのような、柔らかく太い物でラフに一筆書きしたような、シンプルなのに、恐ろしいほどズバリと人物を捉えたポートレートには、特に大感激しました。

クェンティン・ブレイクの絵がお好きな方は、彼の公式サイトをご覧になって下さい。素晴らしいイラストが一杯です。特に "Every Other Friday" をクリックすると、彼がシリーズで描いたポエムのような素晴らしいデッサン(未発表が多いらしい)が見られます。

Galerie Martine Gossieaux 56, rue de l’Université 7e    
コロナウィルス対策で10月30日から画廊も閉まり、この展覧会も中途半端のまま終るのか、延長になるかは、残念ながら未確認です。  

11/24/2020

クリストとブルガリア・スパイ

from "Christo and Jeanne-Claude"

Christo et une espionne bulgare

秋になってコロナウィルスの感染がまた急激に増え、フランスは再び外出制限令が出されました。学校や公共サービス、テレワークのできない職種の会社が開いているなど、春に比べて少し緩和されましたが、美術館、画廊、劇場などこのブログで取り上げたい芸術の分野はまた全部クローズ。ストックしていた写真で春の外出禁止中は持ちこたえましたが、さすがに今では残り少なく・・・・このブログに載せる写真は全て自分で撮ったものをモットーに、やむを得ず外からお借りする場合はその旨記し、できるだけ大新聞や劇場の何万という単位で発表され尽くした写真を使っていました。コロナ中は仕方ありません、雑誌や新聞からの話題や写真も混ぜて、ブログを続けて行くことにします。

そこで今日はル・モンド紙のウイークエンドの雑誌 "M" に出ていた、梱包の天才クリストとスパイのお話です。下の1点だけ私の写真、それ以外はクリストご本人のサイトChristo and Jeanne-Claudeから拝借しました。


クリストは1935年ブルガリアで生まれました。6歳で肖像を描いたそうで、美術学校に通い始めたけれど、共産主義真っただ中の当時のブルガリアでは、共産党のパルチザンでないとディプロマがもらえず、56年ウイーンに逃亡、58年にはパリに、そこで生涯の伴侶で仕事のパートナーでもあるジャンヌ・クロードと巡り合います。64年にアメリカに移住。ここからが本題です。
よほど共産国ブルガリアの思い出が悪かったのか、クリストは母国に生涯帰らず、兄弟とも連絡を絶ったまま、公の場所でブルガリアの事を口にすることも決してなかったそうです。ところが最近になって、ブルガリアの元秘密警察の書類の中から、エレナという署名の1984年付の報告書が見つかりました。上の写真がル・モンドに出ていたその報告書。本物であることは間違いないそうです。80年代すでに国際的なスター・アーティストになっていたクリストは、ブルガリアの国民の敵と見なされていました。秘密警察への警戒を怠らなかったクリストのアトリエに、うまく入り込んだスパイがこのエレナ。
     from "Christo and Jeanne-Claude"

しかしエレナの報告は、終始クリストの人物とその芸術を弁護し、本部の疑いを晴らすように細心の注意を払った内容だったのです。彼らの巨大な梱包アートの資金は、自分達の独立を保つため、美術館や大会社などのバックアップを受けずにスケッチを売って賄っているので、巨額の資金を動かしていても全部作品に使ってしまい、いつも貧乏だ。有名になってもなおヒーターもエレベーターも無い古いレンガ建ての工場に住み、一週間7日働き続け、隠者のような生活をしていると・・彼女はすっかりクリストに心酔してしまったようです。なんだか以前の、東ドイツ国家保安局シュタージの調査員の心の変遷を描いた、感動的な映画 "善き人のためのソナタ" (フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督、フランス語タイトル La vie des autres)を思い出しますね。

   梱包の過程 from "Christo and Jeanne-Claude"
クリストは梱包の企画の色々なデッサンを売って資金集めをしたそうですが、確かに彼のデッサンは、それだけでも見ごたえがあります。やや建築家風のデッサンで、彼は物を、そのヴォリュームで表現するのですね。どうして梱包しなければならないのか? 彼は二十歳にもならない美術学校時代に、すでに色々なオブジェを包んでその絵を描いていたようです。多分彼の思考のどこかに、ラッピングの観念が生まれた時からインプットされていたのでしょう。梱包しても美しくない物は、やっぱり私は苦手。でも目を見張るように美しい物もあります。例えばこの海岸を丸ごと梱包した作品。ヴォリュームが単純化され、白一色のために陰影が強調され、素晴らしい!
尚この布は全てリサイクルされます。包む物や場所の環境を考慮し、地域や住民との話し合い、許可、物流などは全部ジャンヌ・クロードの担当だそうです。

    from "Christo and Jeanne-Claude"
パリの凱旋門の梱包の準備がほとんど完了した段階で、クリストはこの春に亡くなってしまいましたが、2021年秋に、彼へのオマージュとして梱包が実行されるそうです。コロナが治まっていたら、きっと大騒ぎになる事でしょう。

尚、このスパイ、エレナの正体には、誰もが口をつぐんでいます。報告書の文章から、身近な人々は正体を確定できるそうですし、クリストとジャンヌ・クロードは一時親しかったのですから、当然誰だったか知っているのです。いくら良心的な報告書を書いたとはいえ、偽りの友情で近づいたのですもの裏切り行為、やはりもの悲しいお話ですね。

Christo est le mystérieux rapport bulgare, M, le magazine du Monde No.472より

11/13/2020

坂茂氏のコンソルシウム/ ディジョン


坂茂氏設計のコンソルシウム・コンテンポラリー・アートセンター/ ディジョン

ディジョンはブルゴーニュ公国の首都として栄え、最も繫栄した15世紀には、ブルゴーニュだけでなく、北フランスからオランダに広がる豊かなフランダース地方を含めた領土を持ち、ヨーロッパの政治を左右するほどの力を持っていました。2度の大戦の被害が少なかったこともあり、旧市街は歴史遺産が一杯です。しかし今日のお話は、旧市街からちょっと離れた、ぐっと新しいコンテンポラリー・アートセンター、コンソルシウムの建築について。タイトルには板茂氏設計と書きましたが、ポンピドゥーセンター・メッス等と同様、正しくは板茂xフランスの建築家ジャン・ド・ガスティーヌの共同の作品です。


コンソルシウムは1977年に、若いアヴァンギャルドな作品を展示したいという仲間が集まり、書店の2階を借りて展示を始めたのが始まりです。最初の2、3年で、当時ほとんど無名だったボルタンスキー、ダニエル・ビュレン、シンディー・シャーマン等々を展示したのですからなかなか。現在は小さいながら現代アート界では欠かせない存在です。ディジョン市内を転々とした後、1991年に、旧市街の外にある1943年築の元工場の建物に移転。板茂xジャン・ド・ガスティーヌのコンビが担当したのは2011年の拡張工事で、10mの天井を持つ展示会場(下写真の左の建物)とガラス張りの入り口ホールです。

お隣のアパートがあって門を大きく取れないので、ちょっぴり不思議なS字型の入り口。
入り口ホールを中心に、右が旧館、左が新館。
入り口ホール。ここから旧館2階の展示場に向かうスロープ。
スロープから見た、1943年建築の元工場とアトリウム。
マタリ・クラッセがデザインした、カラフルな円形のブックショップ。
       by Matali Crasset

コロナウィルスの感染が急に増え、また外出制限令が出るかも、という時だったので、コンソルシウムは開店休業状態。展示準備中だからタダで見ていいよ、と言われました。そのため、どこかにあるはずのカフェは見られず。展示スペースも色々な物が散らばり、写真が撮れなかったので、コンソルシウムのサイトから以下の2写真を拝借しました。
        by Consortium
        by Consortium

Consortium 37 Rue de Longvic, 21000 Dijon  


10/25/2020

隈健吾氏のギャラリー/ アンジェのカテドラルの修復

                                   by ministry of curture
Une galeire de Kengo Kuma pour la protection du portail de la cathédrale d'Angers

アンジェのカテドラルの正面を保護するギャラリーの建設に、日本の建築家隈健吾氏が選ばれました。ここまで到達するまでには、千年の長い長いお話があります。

2009年、このカテドラル・サン・モーリスの正面を飾る旧約聖書の彫刻群を、簡単な言葉で言えば≪大掃除≫中に、昔々保存の為に塗られた塗料と、長年積もった排気ガスや埃の下から、ポリクロームの彩色が現われ、文化省や歴史建造物保護機関、美術関係者が騒然となりました。

       by ministry of curture
フランスで教会に入ると、ステンドグラス以外、中は灰色やベージュの石の色一色で、暗く荘重な雰囲気ですね。でもそれは壁や柱に塗られ描かれた絵の具の色が落ちてしまったためで、元は柱が赤、青、緑、金色に塗られ、王や諸侯の紋章や、聖書の場面が壁にポリクロームで描かれていたのです。よく見ると壁や柱に、微かな色の跡を見ることができます。教会内部に残っていたり、美術館で見られる石や木の聖人像やマリアも、色が褪せているとはいえ、かなり極彩色の色付きが沢山ありますね。教会の外側の彩色が残っている例はとても少ないので、皆が色めき立ったのです。

      by ministry of curture   
全部で7層の色があり、一番古い層はカテドラル建設の12世紀の層-これは10%くらい、例えば1617年に雷が落ちて壊れ、沢山の彫刻が作りなおされ、色も塗り替えられています・・そんな記録まで残っているのですね。
なぜ外壁の彩色が珍しく残っているかというと、カテドラルの正面に、13世紀に付け足されたギャラリー(僧院の回廊のような)が雨風を防ぎ、1807年まで色を保存していたからなのです。1807年にこのカバーの役目を果たしたギャラリーが壊されました。この時、彫刻を守るために保存塗料がベタベタと塗られ、その下にポリクロームが隠れているとは、2009年の大掃除まで気が付かなかったのです。

        by ministry of curture
2009年の発見から10年間、お役所間のすったもんだの末(1000年も前の建物ですもの、10年くらいはたいしたことない?)去年でしたか1年間かけて、残っている色を保存し彫刻の修理を完了。風雨にさらしておけないので、仮のカバーが掛けられ、修理中はアンジェの市民は櫓に上って、彫刻群を目の前に見る事ができました。上写真が現在の仮カバー。
このポリクロームを保存するためには絶対にカバーが必要で、中世と同じものを作り直すには、十分な資料が残っていないとか・・多分コツコツ石を積み重ねる資金、時間,、根気、職人なども足りないのでしょう。美しく現代的なギャラリーを建築するべく、世界の建築家の中から隈研吾氏が選ばれたという次第。


焼け落ちたノートルダムの尖塔を、全く新しい物にしようというマクロン大統領の意見は、ごうごうたる非難で≪昔と全く同じ塔にする≫に落ち着きました。新しい建物ができるたびに、世論とメディアの大批判が起きるフランスです、隈氏も大変ですね!でも多分フランス文化省のチョイスは妥当、彼ならば、アグレッシブな宇宙船のような醜い建物を付けないだろう・・と期待しましょう。
つい2日前のニュースで、まだデザインは発表されていないのか、見つかりませんでした。

10/14/2020

太陽王のバレー・オペラ≪ル・バレー・ロワイヤル・ドゥ・ラ・ニュイ≫

       photos by Théatre des Champs Elysées
Le Ballet royal de la nuit au Théatre des Champs Elysées

ル・バレー・ロワイヤル・ドゥ・ラ・ニュイは、1653年に上演されて以来ずっとお蔵入りしていたものを、2017年にバロックでは定評のあるノルマンディーのカーン劇場と、ヴェルサイユ宮殿のロイヤルオペラ劇場で再現され、大好評で現代に蘇りました。今秋はパリのシャンゼリゼ劇場での公演です。
1653年の Le ballet de la nuit 直訳すると≪夜のバレ―≫は、フロンドの乱の直後、15才の若いルイ14世の地位を確実にするために、宰相マザランが作らせたオペラで、政治的な意味合いがとても大きいイベントだったそうです。現代の私たちにとっては、バレーを政治の手段に使うなんて、なんと優雅な!!  まあテレビもツイッターも無かった時代なので、そういう事になるのでしょうね。


ではなぜ夜のバレーかというと、延々3時間以上続く夜/黒がベースのシーンが前座の役割を果たして、最後に太陽に扮したルイが登場し、闇を一掃して踊るシーンを際立たせるためなのです。このプロパガンダは大成功でしたね。それ以後太陽王と言えばルイ、が定着したのですから。因みにルイ14世は子供のころからダンスが好きで、宮廷人達のお世辞を割り引いても、事実上手だったようです。

   photos by Théatre des Champs Elysées
音楽はIssac de Bensarade、Antoine de Boësset、Jean de Cambefort、Louis Lambert の4人が担当し、加えてルイジ・ロッシのオルフェオと、フランセスコ・カヴァリの恋するヘラクレス2つのオペラの歌の一部、計45の長短とりまぜたシーンが展開します。初演はプロの歌手、ダンサーに加えて、登場人物は王家のメンバーが演じました。


350年以上隔たりのある現代版は、きっとバラバラになったり欠けていたのでしょう、セバスチャン・ドゥーセが丸4年情熱を注ぎこんでアレンジし直し、彼自身が指揮を担当。また出演者は歌手の外、数人のジャグラーと大勢のアクロバット達がダンサーとして登場しています。ですからダンスはアクロバット・ダンス。
 

男性がドレスを着るシーンがいくつもありました。高い櫓に乗って歌った "夜" の裾から文楽風の人形が出てきて、不思議な手の動きだけのダンスを、夜と全く同じくダブルで演じます(トップの写真参照)。夜のドレスの上半身は、かみしも(裃)からのインスピレーションに違いない‼ ルイ14世役のキモノ風の衣装など、日本文化の影響があちこちに・・黒子風のトリックで後ろから手を出し、まるで手が4本あるような、手だけのダンス場面も何度かありました。


お互いの肩に乗って垂直に3人立ち、その一番上の人が、あちらからこちらへと飛び移ったり、頂点から落ちるのを下で受け止めたり等々のアクロバットが特に後半激しくなり、高い所の嫌いな私はハラハラして、音楽に集中できず少々不満。実際にミスが1回あり、トップの人が落ちましたが、ミスした場合の訓練もしているのでしょう、仲間の助けもあり、優雅に落ちて優雅なポーズで着地し、舞台は少しも乱れず。しかしなぜオペラにアクロバットまで持ち込み、変わった演出にしなくてはならないのか、演出のエスカレートは限りがなく、私としては少々疑問なのですが・・・そう思ったのは私だけなのか、メディアは全部絶賛していまし。確かにバロックの時代、オペラは高尚なものでなく、楽しむ余興だったので、魔女が空を飛んだり、怪物が飛び出したりと奇抜な仕掛けを好んだので、アクロバットもけっして突飛な発想ではないのです。


関連ブログ : 恋するヘラクレス、エルコーレ・アマンテ