最新のブティックにトレンディーなレストランやギャラリーの集まるマレ地区とセーヌ川の間に、アンティックショップのビレッジ、ヴィラ―ジュ・サン・ポールがあります。
サンポ―ルの起源は大変古く、紀元632年に使徒パウロ(フランス語でポール)を祀るチャペルが作られたのが始まりです。セーヌが現在のような流れになる以前は、ベルビル、モンマルトルの丘の麓に支流が流れ、今のマレ地区一帯は沼地でした。フランスの中世で最もポピュラーな王様の一人フィリップ・オーギュスト(1165-1223年)がパリを城壁で囲いましたが、マレはこの城壁の外に位置し、沼地の水を利用して野菜を作っていました。フランス語で沼地と野菜の栽培を意味するマレの語源はここから来ています。因みにこの城壁は、ヴィレッジすぐ横のrue des Jardins-Saint-Paul通りの公園に沿って残っています。
パリの暴動を避けてシャルル5世が王室をマレに移し、貴族たちがその周りに続々と館を建て始めたのが14世紀後半、それから1789年のフランス革命まで、マレ地区は王侯貴族の居住地区でしたが、革命で貴族達が殺されたり国外に亡命した後は、荒れ果て、館には庶民が住み付き、手工業のアトリエなどに変わりました。
20世紀の初めになってようやく、美しい館を美術館に修復するなどマレの再建が始まり、特に1962年に当時の文化相アンドレ・マルローが、歴史的建造物の修復に補助金を設定したことからマレが蘇り、富裕層が住み始め、徐々に庶民が押し出され、今ではマレが庶民的でなくなったと嘆く人達もいます。ビラージュ・サン・ポ―ルは1976年に、地域開発の一環として、アンティック、デザイン、手仕事のショップのみを集める目的で修復されました。
夏は観光客の多い日もありますが、平日や寒い季節には訪れる人もちらほら。大通りから離れ、車も入って来れない中庭の集合体なので、静寂の中足音だけが響き、遠い昔に逆戻りしたような気持になります。アンティックのショップも、空いていたり閉まっていたり、商売っ気がなさそうなのも、なかなかいい感じです。
雑多に重ねられた古写真と版画のショップ、宝探しのようで、見ていると時間を忘れます
いい品揃えで比較的買いやすい価格のアンティック陶器店 |
古い建物にスチールとガラスがなぜかしっくりするレストランMontécao。夏は中庭側のオープンテラスの昼食はいつも満員。個人的には夏以外のシーズンに、このグリーンとガラスに囲まれた不思議な空間でのコーヒータイムが好きです。
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