Escapade Weimar No.2/ Haus Am Horn
1900年代初頭はあらゆる芸術の世界で、それまでと全く異なる新しい運動が起こった時期で、建築の分野もそう。そのちょうどいい時期にバウハウスが創立され、その第1回めのバウハウス展のために、彼らの近代的な生活様式の理念を集約して建てられたモデルハウスがハウス・アム・ホルンです。1923年というから、ル・コルビュジエのサヴォア邸(1928~31年築)より一足先んじた建物。画家のゲオルグ・ムッヘGeorg Mucheが、アドルフ・マイヤーAdolf Meyerや校長のグロピウスWalter Gropiusの協力を得て作り、私の好きなマルセル・ブロイヤーが家具を、ラズロ・モホリ=ナギLaszlo Moholy-Nagyが照明を担当しました。みんな当時のバウハウスの若い先生達。因みにこのアム・ホルンを含めて、バウハウスの学校全体がユネスコの世界遺産に指定されています。
私が行った時は4月まで冬季閉館中で、中が見られなかったのが本当に残念でした。図書館で調べたところ、ハニカム(蜂の巣)構造で、広いリビングルームを中心に、廊下なしで周りを小部屋が囲み、2階のように見える窓は、実はこのリビングルームの高い天井の明かり窓だそうです。どんどん増える労働者階級の住宅不足に対応するため、施工費を安く、機能的で衛生的、バスタブなど近代的な設備を備えています。それまではちょっとした中産階級でも家事労働には使用人を雇っていたのに、この家はそのような使用人無しの生活を前提に作られていて、まあこれが、現代ではあたりまえの庶民住宅のルーツなのですね。
バウハウスは急進的な共産主義者の集まりだとされてワイマールを追われ、デッサウに移転(1925年)、そこも追われて1933年にベルリンでナチに閉校にされ、沢山のメンバーがナチを逃れてアメリカに渡りました。創立1919年からたった14年ほどの活動で、ワイマールのモデルハウスはこれ1軒だけしか建てられませんでした。
新開発のキューブ型の住宅地区Neues Bauen Am Horn
ハウス・アム・ホルンは、中心のマルクト広場からイルム川沿いの大きな公園(春ならきっと素晴らしくきれいな場所でしょう)を通り越した丘の上にあり、周りはクラッシックで瀟洒な家が建っていますが、その一角に、近代的な建築ばかり並んでいるNeues Bauen Am Hornがあります。調べてもドイツ語の記述ばかりでよくわからなかったのですが、1996~99年くらいのプロジェクトで、2000年以後に、バウハウスの理念をベースとして建てられた機能主義建築の家ばかりで、面白い場所です。バウハウスの学生によると、ワイマールの富裕層、特に建築家やデザイナーなどが住んでいるブランシェな地区だとか・・もう一か所整地中の一角も、同じようなスタイルの地区になる予定らしい。低所得者向けの家が、今やブランシェなファッションになってしまったのは皮肉でも、パリの旧建築に慣れた目には新鮮、住んでみたい・・
下はこのブランシェ地区のすぐ傍にあった素敵な学生寮。ワイマール市の建物で、バウハウスや有名なリスト音楽院の生徒達が住んでいます。建物の中に家が組み込まれ、各家は共同のバストイレ、キッチンに4つの個室付き。2階の家にはスチールの階段で、外から直接入るスタイル。この丘はひどい急坂なので、自転車で登るのは絶対不可能そうだけれど、自転車が沢山置いてありました。
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