6/16/2013

ピカソのアトリエ

L’atelier de Picasso 7 rue des Grands Augustins

サンミッシェル近くのグラン・オーギュスタン通りは、パリでもとても古い通りの1つで、沢山の歴史上の人物ゆかりの場所です。その7番地の最上階は、ピカソが193655年までアトリエとして使用し、ゲルニカもここで生まれましたが、このアトリエの将来が今危ぶまれています。
                        昔の写真と全く変わっていない7番地

2002年から非営利事業の芸術教育協会(CNEA)が、建物の持ち主である法定執行官協会から無償で借り受けて、展覧会、コンサート、劇、小学生から大学生までの各種ワークショップなど、10年間に700ほどの催しをしていたそうですが、オーナーの法定執行協会が、この建物を売りに出すことを決め、裁判に持ち込まれています。売りに出すためには改装が必要な上、新しい所有者がアトリエを壊さない保障はなく、CNEAの活動はもちろん停止ですCNEAの望みの綱は2つで、第一はこの建物を急いで歴史的建造物に指定してしまうこと。そうすれば修復はできても改装はできませんが、オランド大統領に陳情したのにまだ返事は無し。第二はこの建物をピカソの家族に買って保存してもらうことで、今交渉中。法廷の判決は619日に迫っているので、俳優や芸術家、知識人たちが署名運動を起こしているのですが、さてどうなることでしょう?
署名を送りたい人は、以下のメールまでと新聞に出ていました: c.n.e.a@wanadoo.fr
因みに7番地のこの建物は、ピカソより1世紀前のバルザックの小説の舞台にもなり、同じアトリエを193236年には、ジャンルイ・バローが新しい劇を発表する場として使い、ジャック・プレヴェールなども出入りしていたそうです。
7番地の向かいにはレストランがありますが、その壁には“ルイ13世はここで父王アンリ4世の死の知らせを受け、王位につきました”(1610年)と書いてあります。時代は飛びますが、5番地は画家のソニヤとロベール・ドローネーが住み、アポリネールも一時期一緒に住んでいたようです。
                      グラン・オーギュスタン通り

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