10/30/2014

ラ・ロトンド/ おしゃれに変身した歴史的建築


La Rotondo/la place Stalingrade 

サンマルタン運河周辺は、もう随分前からパリで最もブランシェで有名な地区になってしまったので、ちょっと場所をはずしてまだ静かな場所、地価の安い場所を求めて、今までブランシェとは全く縁がなかった19区のあちこちにホットスポットが広がっています。スターリングラード広場のル・ロトンドもその1つ。

正しくは“スターリングラードの戦い広場”は、地下鉄の高架線の下を沢山の車が通って埃っぽくつまらない広場だったのですが、ヴィレット公園まで続くサンマルタン運河沿いの遊歩道ができ、広場が整備されて広くなり、見違えるように気持ちのよい場所に。広場沿いに忘れ去られ排気ガスに汚れていたラ・ロトンドも、きれいに修復され、レストラン、カフェ、ギャラリー、アーティなフラワーショップなどが入った、レストラン兼カルチャーセンター的なおしゃれな空間に大変身しました。

この建物は1784年から革命の前年1788年にかけて、パリ(今のパリより小さい)を取り巻く壁に、人の出入りをコントロールし、税金を取るための門(関所)とその事務所として、クロードニコラ・ルドゥという建築家が作った建物だそうです。パリにはこのような関所が大小様々50近くあったのに、オスマンのパリ大改造の一環として1860年に殆どが壊され、現存しているのはこのル・ロトンド、ダンフェール・ロシュロー広場、ナシオン広場、モンソー公園入り口の4か所だけです。

 
ギリシャ、ローマのスタイルをまねた、円柱の並んだネオ・クラッシック様式。この様式はごつくて重く、少々美しさに欠ける建物が多い気がするのですが、ここもそう。厳めしい外観は全然ファッショナブルではないけれど、入口前に広がった緑で一杯のオープンカフェやアヴァンギャルドなオブジェが和らげています。ガラス張りの高いドームから自然光の入る中央の円形広間と、周りの回廊をめぐる小さめのスペースがミックスした変わった形のレストランは、大テーブルのあるダイニングコーナー、カフェやバーのラウンジ風など、異なるインテリアで演出。




 
La Rotonde   6-8 Place de la Bataille de Stalingrade 19e  http://www.larotonde.com/

10/28/2014

アスティエ・ド・ヴィラット/ ギャラリー・サロン


Astier de Villatte/ Galerie Salon

ボザールを卒業したばかりのブノワ・アスティエ・ド・ヴィラットが友達を集めて、1996年に父親のアトリエで陶器の食器を作り始めたのが、アスティエ・ド・ヴィラットの始まりです。黒い土をできるだけ軽く薄くし、白い釉薬をかけた陶器を試行錯誤で作り、何の経営の知識もなかったので、カップだけ作ってポットを作り忘れたりといった色々なハプニングがあったようですが、インテリアの展示会メゾン&オブジェに出展してたちまち世界中のバイヤーの注目を浴びました。ブノワの父は画家バルチュスが采配をふるっていた頃のローマのヴィラ・メジチ(在ローマ・フランス・アカデミー)に在籍していた彫刻家で、一風変わったセンスを持ち、ブノワに大きな影響を与えたそうです。そのせいか厚めの一見クラッシックな白い食器は独特の風合いがあり、古風なアンティークとも、アヴァンギャルドなインテリアともマッチ。食器、ローソクに次いで大ヒットのノートに至るまで、全部手作業で作られるとのこと。

ブラックをベースにしたちょっぴりミステリアスな雰囲気の直営店がサントノレにありますが、上の写真は左岸のブティック“ギャラリー・サロン”のもの。アスティエ・ド・ヴィラットの食器をメインに、アンティーク、北欧、イタリアなどのインテリアをミックスした品揃えが素晴らしく、ギャラリー・サロンという名前がぴったり。サンジェルマンデプレ教会の裏から、食品街のビュッシ通りに抜ける小さな道にひっそりとある素敵なお店です。
因みにこのブルボン・ル・シャトー通りは、知る人ぞ知るヴィンテージショップや香水のル・ラボ、そしてこのギャラリー・サロンと、小さいながら見逃せない3店舗が並んでいます。

Galerie Slon,  4 rue de Bourbon le Chateau 6e

10/24/2014

トワル・ド・ジュイ/ フランスの伝統プリント

 
  
       
                      
       
La toile de Jouy/ Un tissu inscrit dans l'histoire

17世紀に、ヨーロッパ中の宮廷、特にルイ14世のヴェルサイユ宮殿のトップファッションは、遠いアジアから輸入された色彩豊かなコットンプリントでした。これらの生地は“インディアン”と呼ばれ、服だけでなくインテリア用のファブリックとしても大人気だったので、輸入に色々制約があり(確実に税金)高い贅沢品でした。それではフランスでも作ろうということで、ルイ15世の治下1760年クリストフフィリップ・オーベルカンフが、ヴェルサイユに近く、ビエーブル川が流れて染色に適したジュイにプリント工場を作ったのが、トワル・ド・ジュイの始まりです。始めは木版の型押しでしたが、1770年には銅版をロールにした印刷を開発し製産量アップ、ヨーロッパ最大のインディアンの工場に。ルイ16世からは名誉ある王室御用達マニュファクチュール・ロワイヤルManufacture royaleの称号も受けましたが、特許もブランドの商標登録もなかった時代なので、フランスの各地で生産されるようになり(特にミュルーズで)、競争に勝てずに1843年に工場は閉鎖されています。

花やペイズリー模様も沢山作りましたが、中でも有名なのは上写真4点のような、人や動物のいるロココ風の庭園や田園風景プリント。ジャンバティスト・ウェットという当時人気の王室画家が下絵を描いたのだそうで、後にジュイの名は、この様なプリントの総称になりました。華やかなマルチカラーのもあるけれど、写真のような単色が主流。このプリントの人気は絶大で、今もずっと売れ続けている驚異的ロングランのデザインです。

   
  

ジュイにはトワル・ド・ジュイ美術館があり、プリントの工程のビデオや、木版銅版のパターン、古い生地の展示、そして入口の横には、トワル・ド・ジュイで作られた沢山のインテリアグッズを販売するブティックが。

美術館は郊外線RERのC8線でPetit Jouy les Loges下車。本数が少ないので要注意。
ジュイ・アン・ジョザは緑の多い静かな街なので、川岸をゆっくり散策するのもお勧めです。

パリのメトロ、オーベルカンフ駅とオーベルカンフ通りは工場創始者クリストフフィリップ・オーベルカンフに因み、ジャンバティスト・ウエットの方は、ルーブルに作品が展示されているそうです。

Musée de Toile de Jouy   54 rue Charles de Gaulle 78350 Jouy-en-Josas 

10/21/2014

デザイン蚤の市スケッチ

 Des Puces du Design à Bercy

 
 
 
 
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一方は蔓に下がったヒョウタンかマメ科の植物のようなオブジェ、もう一方はカルダ―風な両面モビール。

関連アーティクル 

10/17/2014

ラ・パティスリー・デ・レーヴがBHVマレにオープン




La Pâtisserie des rêves au BHV Marais

水道管の修理から床貼り、タイル貼りまで、日曜大工の域を超える工具を網羅し、ありとあらゆる図画工作用品、家庭用品、インテリアのパーツが充実し、何か探したいときはここへという何でも屋のBHV(ベー・アッシュ・ヴェー)は、その分ファッション性はいまいちで、野暮ったい雰囲気が漂うデパートでしたが、ギャラリー・ラファイエットに買収され、マレの入口に位置していることからBHVマレと名前をかっこよく変えて、数年前からイメージアップを図っていました。マレはゲイのメッカでもあり、元々工具目当ての男性客が多かったので、まずメンズ館を新設して大成功し、最近本館の大々的なリニューアルも完成しました。

若々しくトレンディーなブランドを集め、内装もとてもデザイン、しかもグルメ関係に需要が多いのに目を付けて、キッチンインテリア雑貨の階には、ハーブ、ティー、ジャムやハチミツ、クッキー、オリーブオイル、そして先日書いたオイルサーディンなどの缶詰め類等の食品コーナーを配置。新しくカフェ、レストランもオープンし(そう、今までカフェもレストランも館内に無かった、日本のデパートでは考えられない事!)、定期的に料理教室も展開するようになりました。
下は左から、パーティー雑貨コーナー、ファッショナブルな洋式“丼ぶり”の並ぶ日本食器コーナー、食品コーナー。

     

中でも一番嬉しいのは、ちょうどパリ市庁舎が目の前に見える位置にオープンした、フィリップ・コンティシーニのラ・パティスリー・デ・レーヴ。お店の名前“夢のお菓子”の通り、ビジューのようにガラスケースに飾られたお菓子にはうっとりさせら、何を食べようかなかなか決心が付けられない困ったお店です。


La pâtisserie des Réves, BHV Marais  36 rue de la Verrerie 4e  http://www.bhv.fr/

10/15/2014

ウィリアム・エッグルストン展 “モノクロからカラーへ”


Expo William Eggleston “From Black and White to Color”

アンリ・カルチエブレッソン財団で、ウィリアム・エッグルストン(1939~)の初期(50年代末から60年代)の作品を見て来ました。彼は、芸術写真は黒白、カラーは広告用と言われていた時代に、カルチエブレッソンを崇拝しつつも、モノクロからカラーに転向し、またブレッソンが世界中を撮影したのに反し、故郷のメンフィスの平凡な日常を撮り続けました。74年に初めての写真集が出版され、76年にはニューヨークのMoMaで展覧会が開かれるなど、カラー写真で世間に認められた最初の写真家の一人なのだそうです。


エッグルトンの写真には人物がとても重要なのですが、安いチェーンレストラン、ダイナースのコーナーや、ガソリンスタンド、ケチャップやコーラの瓶、時にはただの紙コップが2つといった人物のいないシーンも、その直前まで誰かがいたような日常。一方彼の人物は、まるで時間が止まって静止したように見え、エドワード・ホッパーの画と何か通じるものが・・そしてなんとなくアンニュイ・・


右の、エプロンをしたス―パ・マーケットの男の子がキャディーを片付けている場面は、この展覧会のポスターになり色々な雑誌にも取り上げられていたもの。彼の作品にはめずらしく動きがあって、人物も若く、60年代そのもののヘアスタイルなど、広告にでもなりそうなメディアティックな写真。

 
 

“カルチエブレッソンの写真集The Decisive Momentは、私の人生と写真の撮り方を変えてしまいました。私は始めて、正面から撮られなかった写真を見たのです。彼の作品はドガやロートレックのようなアングルなのです” 
“The Decisive Momentを見てはじめに感動したのは、黒と白の色合いでした。どの黒も漆黒ではなく、そこに隠されているものが見えるし、純粋な白もありません。彼の素晴らしい構図やアングルにショックを受けたのはその後でした。” William Eggleston

William Eggleston, From Black and White to Color 12月21日まで
Fondation Henri Cartier-Bresson  2 Impasse Lebouis 14e